「幸せ」も「不幸」も、その基準は人が勝手に決めたことで、本来どちらもこの世界には存在せず、世界は至福で満たされています。

 

 

至福は幸せと同じととらえることもできるけど、ここでいう幸せはわたしたちのマインドが決めた「幸せ」です。

 

 

例えば、多くの親は子の幸せを願いますが、その幸せが条件つきのものであれば、子はその条件から外れないように生きようとしたり、または、外れてしまうことや外れてしまったことを、深く責めるかもしれません。

 

 

些細なことで人生の足枷になってしまうようなものを、はたして「幸せ」と言っていいものでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは、「幸せ」の条件をたくさん決めています。

 

 

健康であること

豊かであること

衣食住に困らないこと

人より優れていること

楽しい体験ができること

欲しいものが手に入ること

自分の実力が評価されること

他にもたくさん。

 

 

それと同じように、「不幸」の条件もたくさん決めています。

 

 

病気をすること

衣食住に困ること

貧しいこと

人より劣っていること

退屈なこと

欲しいものが手に入らないこと

自分を批判されること

他にもたくさん

 

 

どれも、ニュートラルな視点で見れば、ただの出来事。

 

 

ネガティブな気持ちになるそれらの出来事を「不幸」として分類し、それが「悪いもの」として責め、苦しんでいる。

 

 

不幸に分類されてしまっているものたちは、悪ではないし、責めなかったら苦しくもありません。

 

 

ネガティブな感情、嫌な感情を感じても、それは感じるままに出してあげれば、それ以上でも以下でもなく、ただそれで済み、次へ進めます。

 

 

変に我慢したり、感じないようにしたり、悪いものとして責め続けたりしていると、いつまでもその「不幸」にしがみつくことになります。

 

 

そうすると、「幸せ」の分類に入れているものにも気づきにくくなるし、新しい流れを受け取りにくくなります。

 

 

別れも

事故も

病気も

怪我も

貧しさも

孤独も

負けも

惨めさも

死すらも、

 

 

 

「不幸」ではなく、自分の意識が「不幸」もしくは「悪いもの」に分類してしまっているだけです。

 

 

この世に「不幸」なんてありません。

 

 

あるのはただの出来事、「流れ」だけです。

 

 

そしてわたしたちは至福の中で「幸せ」に分類した出来事を受け取って、ただ喜ぶことができます。

 

 

本当のわたしたちは、そういう(至福の)存在なのです。

 

 

 

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