最近よく詐欺の事件とか、倒産の事件とか、仮装通貨の事件とか、お金がらみのことニュースでやってますね。

 

 

当事者はもちろんそのニュースを見ている人たちも、お金に関するカルマ(思い込みや未完了の感情)がガックンガックンゆさぶられてるんだろうなぁと思ってみてます。

 

 

 

 

 

 

 

マインド(思考や感情)は、ただの記憶の集合体で、本当の自分ではありません。

 

 

「本当の自分」は思考にも感情にも時間にも左右されずに、ただ永遠にある感覚。

 

 

それを「源」とか「愛」とか「至福」とか「平安」とか「静寂」とかいろんな言葉で表現されたりするんだけど、体験してみるとそのどれもが当てはまって、そのどれもがそれだけでは足りないように感じます。

 

 

そしてその、「本当の自分」は、思考にも感情にも時間にも左右されないので、歴史や先祖レベルから引きずっているさまざまな観念(「〇〇はこういうものだ、こうするべきだ」という思い込み)や未完了の感情(傷ついた気持ちとか)がありません。

 

 

ということは、みんなが持ってる色眼鏡(「〇〇はこういうものだ」とか「〇〇は良いor悪い」とか)を通さずに世界を見ることができるということです。

 

 

たとえば、最初のお金のはなし。

 

 

お金は、モノやサービスと交換できる、特殊印刷が施された紙と金属です。

 

 

ただそれだけ。

 

 

エネルギーやパワーですらありません。

 

 

そこに人は勝手に、多くの観念や感情をくっつけて見ています。

 

 

たとえば、お金はないもの、奪われるもの、汚いもの、きれいなもの、便利なもの、怖いもの、ないと苦労するもの、楽して手に入れてはいけないもの……

 

 

そして、お金という存在が紙と金属というシンプルなものであるがゆえ、人が持つ観念や感情のように振舞いやすいのだそうです。

 

 

「お金がないと生きていけない」も観念で、むかしはこの観念の「お金」の部分には「お米」や「食料」が当てはまっていた時代もありました。

 

 

そして究極的にいうと、「食べ物によって生きている」も観念となので、結局のところ、「生きていけない恐怖」を何かのせいにしたかった小さなマインドの悪あがきなのかなと思います。

 

 

向き合うのが怖いのはわかるけど、恐怖もただの恐怖。

 

 

冒頭に上げたようなニュースと目にして、ワサワサしたり、恐怖や嫌悪や怒りを感じたり、または逆に何も感じないように身構えてしまう人は、もしかしてお金に使われている部分があるのかもしれない。

 

 

わたしたちはこの小さなマインドの支配から逃れることができると、本当の自分の感覚とともに、物は物、事は事として世界を純粋に見ることができます。

 

 

そこでようやく、「使われる」から「使う」側へ、シフトすることができる。

 

 

なぜならマインドは、本当の自分からやってくるインスピレーションをこの世に具現化するために備わった偉大なツールだからです。

 

 

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