ギバー(Giver)とテイカー(Taker)という言葉を聞いたことはありますか?
ギバー→他者に貢献する人、エネルギーを与える人
テイカー→他者の貢献を受ける人、エネルギーを奪う人
というような意味合いで使われる言葉です。
人と接する中で、何だかこの場はエネルギーを取られるように疲れてしまうとか、ただ話しているだけで、エネルギー満タン!と感じたり…
そんなこと、ありませんか?
個人でも、人が集まる場でも、人の感じかたによってギバーにもなるしテイカーにもなってしまいますよね。
ギバーのつもりで行動しても、相手には余計なお世話で、逆にテイカーと取られるかもしれない。
自分の気持ちを吐露することで、しらずしらず、無意識にテイカーになっているときもあると思います。
私は、会話の中に、自己アピールがなされていたり、あれ?営業されてる?と感じたりするときに、モヤモヤしてきます。まず、自分の中のエネルギーが他の人の色になっていく感じ。
私には、そこが自分の中の課題で、アピールされると胸がチクチク、モヤモヤしてきて、最後にはエネルギーを乗っ取られたように感じます。
もちろん、自分のしたことで相手が何を感じるか感じ方は相手の領分なので、相手の方は私のことまで気にする必要はないのだけど(笑)
それに、周りにギバーがいようと、テイカーがいようと、自分自身が自立して、自分に満足して、幸せであれば、揺らがないはずですよね。
きっと、プラスのところだけをおいしく頂けるかもしれない~自己犠牲の必要もなく。
受容と境界、ギブアンドテイクには寄らない価値観、そんなことを考えていて、自分らしくあるためには自分の満足度を肯定するだけでいいのかな?と思いました。
ギバーとテイカーの話なら、自分比70~85%ギバーならいいか、とか(笑)
尺度が自分基準であることは、一般的には、自己中とされるかもしれないですね。
あの時こう言っちゃったけど、相手の方に嫌な思いをさせちゃったかな?メールしたほうがいいかな?謝るべきかな?と時間を使うより、あのときは、きっとテイカー10%程度かな?とか数値化すると、私には気が楽になります。テイカー10%なら次に会うときに声掛けよう、でいいか、とか。
なんだそりゃ、かもしれないけど、自分基準で感情、身体の症状の辛さ、エネルギーのやり取りを数値化して観てみると、冷静になるし、逆に客観性もでてくる気がします。
冷静になると、呼吸もゆっくりになるしし、そうすると自分の中の智慧も引き出せる。そうすると、自分らしくあれる…
やってみてくださーい