村上龍と伊藤穣一さんの対談集
「個」を見つめるダイアローグを読みました。
村上龍さんについては最近の著作は読んでないですが、
天才的に感覚を言葉に置き換えることが出来る人という印象で、
いわば本質に近い言葉には感銘を何回も受けました。
ただ同じ言葉を何回も別の小説に登場させるのはどうかと思っていましたが…
伊藤穣一さんについてはブログカンファレンスで初めて拝見して、
そのときに初めて名前を知りました。
今も詳しくは知らなかったりしてます。。
若者について、社会時勢について、経済合理性について。
グローバル視点から、またはミクロ視点から現代を捉えた
鋭い指摘、感想を含んだ、大人の対談集だったと思います。
といっても雑談はほとんどなく、
自分の立脚点からそれぞれが対象にフォーカスした、
自分の言葉を話されているという印象を受けました。
具体的にどの部分かは忘れましたが、自立性とリテラシーという事について。
マネーリテラシーやITリテラシーなど、
(リテラシー:識字力=文字を読み書きする能力)
リテラシーと付く言葉を目にする機会が増えましたが、
そもそもリテラシーって何だろうと思いました。
僕の解釈では、知識をため込むだけでなく、
その知識を自分の頭で咀嚼した後、判断すること。
だと思っていたのですが、
たとえば受動的なリテラシーに関して、
ここ数年で大きく進歩しているのを感じます。
ただ、能動的な、つまり情報を整理して必要なものを選ぶのではなく、
情報に対して自分の言葉で語ること。
についてはまだなのかなぁと思っていたり。
年金では生活出来ない、インカム(収入)が固定されてるなかでは、
そのなかで調整するしかない、みたいなお話があって、
そこでインカムを固定に考えるのではなくて、ある程度のリスクのなかで、
適正なゲインを得て、インカムを増やしていくという発想が
まだ弱いのかなぁと思いました。
ITインフラの発達、ソフトウェアや生活インフラへの浸透を含めて、
ITによる様々な分野への変革が起こっているのが現代だと思います。
それと同じタイミングで所得格差、つまり社会構造の変革も起きている。
web2.0という言葉がある種のパラダイムシフトを感じさせる響きがあるのは、
そのまま経済的にある種の変革を含むから、というのは
おおざっぱすぎるかなぁ。
少し整理すると、今まで所得は横並び、つまり生活感覚として、
総中流、それほど所得格差のない社会が日本だったと思うのですが、
それは言うなれば、社会が「良い大学に入って、適正なレベルの会社に行けば、
適正な収入を得られて、適正な生活が保証される」という
大きな物語を与えていたように思います。
幼少時代から始まり、義務教育から大学、企業入社までのシステムを支えていたのが、
そのような物語だったのかなと。
それが感覚的にしろ、体験的にしろ、「一概にそうとも言えない」ことに
気づいてしまったからこそ、教育崩壊やニートが生まれているのかなと。
いわば大きな物語、社会構造の大きなベクトルの消失。
そしてweb2.0という言葉のイメージするところは、
「主体性のある個の行動及び情報発信が
今までの中央メディアや中央経済を覆していく大きな流れ」
なのだとしたら、個の主体性というのはますます大きな意味を持つのだと思います。
経済構造の変革がそのまま生活意識の変革を促す、のか。
それとも時代という大きな括りのなかで転換点にあるのか。
もとより人間が相対的な動物なのだとしたら、
社会に漂うイメージや誰かからの評価によって簡単に揺らぎやすい、
流動的な意識になりやすいのだと思います。
そこで主体性って何か?と思うと、リテラシーという言葉に戻るのかなと。
自分を良いベクトルに向かわせてくれる環境に身をおける人が、
すなわち主体性を獲得出来ているのかなと。
んーと。主体性が個の内面にあるもんじゃなくて、
主体性は相対的な環境の中で自然発生的に獲得していくものなのかもしれない、
ということです。
