読書感想文:存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ(著) | こども大家の子育てブログ

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なお読書感想文はネタバレが満載です。ご注意下さい。

 どんな内容かまったく知らずに読んだが、なんと全く興味がない恋愛小説だった。しかしやたら哲学的で、部分的にエロくてグロい、メタフィクションみたいな説明的なところもあって、複雑で味わい深い文学作品だった。

 哲学的と言ったものの、意外にも思索の道程をハンズオンで導いてくれる「親切さ」みたいなのもあって、マジの哲学とくらべると納得しやすい。文体が硬いわりに、難しいところは丁寧に教えてくれるツンデレっぽいギャップもあり。

 

 キリスト教と共産主義という対局を両方経験しているせいか、作者は「超越的な真理(ジンテーゼ)」に近づきたいという、やや中二病的な素朴な憧れを抱いているように感じる。

 

 そうして導き出された結論は、東洋人である私にとってはおおむね違和感がない。というか既視感がある。もっと言うと「べつにフツー」なものが多い。この点はすごくおもしろい。

 

《天国》では人間はまだ人間でなかったという考えに私は導かれる。より正確にいえば、人間はまだ人間の道に投げ出されていなかった。われ われはもうずっと以前から投げ出されていて、直線をなして動く時間の虚空を飛んでいるのである。

<中略>

それだからこそ、動物を機械動物に変え、雌牛を自動牛乳生産機に変えるのはひどく危険なのである。そうすることによって人間は、《天国》と結んだ糸を切ることになり、時間という虚空を飛ぶ間に人間を引きとめることも、慰めることもできなくなるのである。

 

 古典的なキリスト教の価値観を脱皮したいとするなら、アニミズムや東洋思想に近づくのは当然かもしれない。

 私はクンデラの思索は、ほとんど仏教的といっていいと思う。

 

 そんなにペラい本でもないし、わりと大脳に負担がかかる内容であるにもかかわらず、あっさり3日くらいで読めてしまった。

 もちろんおもしろかったというのもあるけれど、きっと千野 栄一の翻訳が良かったんじゃないかと思う。