薬を止めるということ。
一度ね、止めたことがあります。
飲んでる薬は今とちょっと違ったと思うけど、スパッと全部飲むのを止めた。
僕は薬が無いと生きられないと思っていたくせに、薬のことを何も知らなかったんだ。
薬は強迫観念や不安、下痢を抑えてくれてる。
薬を止めたら、また飲む前に戻ってしまうかも知れない。
そう考えてた。
だけどそれは間違いだった。
いや、間違いではないかも知れないけど、薬を止めるということは、それだけじゃない。
離脱症状というのがある。
SSRI、抗鬱剤、トランキライザーなんかは、特にその症状が強いみたい。
当時、SSRI(ルボックスかデプロメール)、三環系抗鬱剤(アナフラニール)、トランキライザーも、リスパダール、デパス、他にも何種類か飲んでた。
あと、睡眠導入剤(サイレース)も飲んでたかも。
離脱症状が緩いとされている胃腸系の薬(セレキノンとか)ももちろん飲んでたよ。
あ、僕は別にどうでもいいと思ってるんだけど、一応補足?しておくと、SSRIも抗鬱剤です。
抗鬱剤の中のSSRIという分類、みたいな感じ?
僕も詳しいことはよく分からないが。
あぁ、あと、当時飲んでた薬、半端無いなぁw
よく処方されてたものだ。
どれだけ病んでたんだよ、まったくww
で、話は戻って、離脱症状。
そんなものがあるなんて知らなかった。
強迫観念はかなり治まってたし、薬が無くても生きていけると思った。
大事なこと。
こういう薬って、効果も副作用も離脱症状もホントに個人差があります。
今から離脱症状について書きますが、これはあくまで僕の体験談なので、参考にはしないでください。
離脱症状って、覚せい剤やタバコ、アルコールの禁断症状とは違って、「飲みたい」っていうのは無かった。
ただ僕の場合、動悸が酷かった。
心臓がバクバクして、破裂しそうだった。
頭痛もするし、目眩でまっすぐ歩くことすらできない。
呼吸をすることさえ苦しかった。
あとは下痢。
水分をコップ一杯飲むと、飲んだ分だけそのまま流れ出る感じ。
だけど喉は異常に乾く。
はっきり言って、日常生活なんて送れたもんじゃなかった。
ホントに死ぬと思った。
ピークは断薬2日後から1週間くらいだったかな。
そこからは、少しずつ症状がマシになっていく。
だけど結局、薬を止めたからといって、病気が治ったわけじゃない。
やっぱり出てくる強迫観念、不安、絶望。
あの時もう少し頑張っていれば、今頃は薬に頼らずに生きているのかもしれない。
断薬したのはどれくらいの期間だったかな。
やっぱり辛くて、結局また病院に行って薬を処方してもらった。
確か22歳の時だったと思う。
断薬したのはそれっきり。
あれから5年経った。
もう、薬を止めようなんて考えたりはしない。
薬無しで生きていける気がしない。
薬の副作用はやっぱり辛い。
薬を止めたら、もっと素晴らしい世界があったかも知れない。
だけど死んでいるかもしれない。
マンションから飛び降りて。
ホームに身を投げて。
薬を大量摂取して。
サクッと書いたけど、ホントに現実味はあった。
薬を飲んでいても、そんな衝動に駆られることは、日常的に幾度となくあった。
なるべくベランダには出ないようにした。
駅ではなるべくホームから離れた場所に立つようにした。
余計な薬はなるべく処分するようにした。
僕は恵まれてるんだ。
愛されているんだ。
ギリギリのところでこうして生きてる。
結局生きてる。
余談。
一度薬を止めた理由。
アメリカに行こうと思ったんです。
その時ちょうど仕事を辞めて、アウトローに生きようと思ったww
憧れの地、アメリカを自由に旅しようと思った。
もちろん、貯えなんて無い。
ヒッチハイクも野宿も覚悟。
ビザが切れても、捕まって強制送還されるまでは居座ってやろうと思った。
そして掴もうと思ったんだ、アメリカンドリーム。
アメリカに行ったら、薬が手に入らなくなる。
そう思ったから、止めないといけないと思った。
日本にいるからこそ手に入るものは、すべて捨てていかないといけないと思った。
バカだと思うだろうけど、あの時の僕はホントに真剣だった。
アメリカに行きたいから、4年半付き合ってた彼女とも別れたw
あえて惰性って言葉を使うよ。
惰性を断ち切る為には、何か大きな理由が必要だと思う。
特に僕みたいに意思が弱い人間には。
で、アメリカンドリームはどうなったかって?w
いや、僕は本気だったんだよ。
でも、両親に猛反対された。
今考えると当たり前なんだけど。
WTCの同時多発テロも起きた後だったし、イラク戦争が勃発しようとしてる時だった。
親に何かを「お願い」されたのは、あれが最初で最後だったかも知れない。
結局、僕のアメリカンドリームは、1週間の観光旅行になった。
それでも親は心配してたけど。
今回の話とは関係ないけど、たった一度の人生、自分の思うように生きなきゃ、なんていう人もいるけど、自分の思うように生きるってことが、大切な人を傷付ける、悲しませるなんてことは、日常生活の中で、多かれ少なかれ往々にしてあると思う。
自分の思うように生きろ、なんて、ちょっと無責任だと僕は思う。
まぁ、僕の思想だけど。
あ、でね、アメリカ観光から帰ってきて、断薬症状も大分と治まってて、精神もまぁまぁ安定してたんだけど、仕事を探さないといけなくなって、またストレスが溜まったんだろうなぁww
強迫観念が出てきて、また病院に通いました、ということでした。
なんかスミマセン。
暗い文章を長々と。
でもね、僕が書きたいことはこれからなのだ。
ホントに申し訳ないと思うけど、まだ続くんだぜ!!w
一度ね、止めたことがあります。
飲んでる薬は今とちょっと違ったと思うけど、スパッと全部飲むのを止めた。
僕は薬が無いと生きられないと思っていたくせに、薬のことを何も知らなかったんだ。
薬は強迫観念や不安、下痢を抑えてくれてる。
薬を止めたら、また飲む前に戻ってしまうかも知れない。
そう考えてた。
だけどそれは間違いだった。
いや、間違いではないかも知れないけど、薬を止めるということは、それだけじゃない。
離脱症状というのがある。
SSRI、抗鬱剤、トランキライザーなんかは、特にその症状が強いみたい。
当時、SSRI(ルボックスかデプロメール)、三環系抗鬱剤(アナフラニール)、トランキライザーも、リスパダール、デパス、他にも何種類か飲んでた。
あと、睡眠導入剤(サイレース)も飲んでたかも。
離脱症状が緩いとされている胃腸系の薬(セレキノンとか)ももちろん飲んでたよ。
あ、僕は別にどうでもいいと思ってるんだけど、一応補足?しておくと、SSRIも抗鬱剤です。
抗鬱剤の中のSSRIという分類、みたいな感じ?
僕も詳しいことはよく分からないが。
あぁ、あと、当時飲んでた薬、半端無いなぁw
よく処方されてたものだ。
どれだけ病んでたんだよ、まったくww
で、話は戻って、離脱症状。
そんなものがあるなんて知らなかった。
強迫観念はかなり治まってたし、薬が無くても生きていけると思った。
大事なこと。
こういう薬って、効果も副作用も離脱症状もホントに個人差があります。
今から離脱症状について書きますが、これはあくまで僕の体験談なので、参考にはしないでください。
離脱症状って、覚せい剤やタバコ、アルコールの禁断症状とは違って、「飲みたい」っていうのは無かった。
ただ僕の場合、動悸が酷かった。
心臓がバクバクして、破裂しそうだった。
頭痛もするし、目眩でまっすぐ歩くことすらできない。
呼吸をすることさえ苦しかった。
あとは下痢。
水分をコップ一杯飲むと、飲んだ分だけそのまま流れ出る感じ。
だけど喉は異常に乾く。
はっきり言って、日常生活なんて送れたもんじゃなかった。
ホントに死ぬと思った。
ピークは断薬2日後から1週間くらいだったかな。
そこからは、少しずつ症状がマシになっていく。
だけど結局、薬を止めたからといって、病気が治ったわけじゃない。
やっぱり出てくる強迫観念、不安、絶望。
あの時もう少し頑張っていれば、今頃は薬に頼らずに生きているのかもしれない。
断薬したのはどれくらいの期間だったかな。
やっぱり辛くて、結局また病院に行って薬を処方してもらった。
確か22歳の時だったと思う。
断薬したのはそれっきり。
あれから5年経った。
もう、薬を止めようなんて考えたりはしない。
薬無しで生きていける気がしない。
薬の副作用はやっぱり辛い。
薬を止めたら、もっと素晴らしい世界があったかも知れない。
だけど死んでいるかもしれない。
マンションから飛び降りて。
ホームに身を投げて。
薬を大量摂取して。
サクッと書いたけど、ホントに現実味はあった。
薬を飲んでいても、そんな衝動に駆られることは、日常的に幾度となくあった。
なるべくベランダには出ないようにした。
駅ではなるべくホームから離れた場所に立つようにした。
余計な薬はなるべく処分するようにした。
僕は恵まれてるんだ。
愛されているんだ。
ギリギリのところでこうして生きてる。
結局生きてる。
余談。
一度薬を止めた理由。
アメリカに行こうと思ったんです。
その時ちょうど仕事を辞めて、アウトローに生きようと思ったww
憧れの地、アメリカを自由に旅しようと思った。
もちろん、貯えなんて無い。
ヒッチハイクも野宿も覚悟。
ビザが切れても、捕まって強制送還されるまでは居座ってやろうと思った。
そして掴もうと思ったんだ、アメリカンドリーム。
アメリカに行ったら、薬が手に入らなくなる。
そう思ったから、止めないといけないと思った。
日本にいるからこそ手に入るものは、すべて捨てていかないといけないと思った。
バカだと思うだろうけど、あの時の僕はホントに真剣だった。
アメリカに行きたいから、4年半付き合ってた彼女とも別れたw
あえて惰性って言葉を使うよ。
惰性を断ち切る為には、何か大きな理由が必要だと思う。
特に僕みたいに意思が弱い人間には。
で、アメリカンドリームはどうなったかって?w
いや、僕は本気だったんだよ。
でも、両親に猛反対された。
今考えると当たり前なんだけど。
WTCの同時多発テロも起きた後だったし、イラク戦争が勃発しようとしてる時だった。
親に何かを「お願い」されたのは、あれが最初で最後だったかも知れない。
結局、僕のアメリカンドリームは、1週間の観光旅行になった。
それでも親は心配してたけど。
今回の話とは関係ないけど、たった一度の人生、自分の思うように生きなきゃ、なんていう人もいるけど、自分の思うように生きるってことが、大切な人を傷付ける、悲しませるなんてことは、日常生活の中で、多かれ少なかれ往々にしてあると思う。
自分の思うように生きろ、なんて、ちょっと無責任だと僕は思う。
まぁ、僕の思想だけど。
あ、でね、アメリカ観光から帰ってきて、断薬症状も大分と治まってて、精神もまぁまぁ安定してたんだけど、仕事を探さないといけなくなって、またストレスが溜まったんだろうなぁww
強迫観念が出てきて、また病院に通いました、ということでした。
なんかスミマセン。
暗い文章を長々と。
でもね、僕が書きたいことはこれからなのだ。
ホントに申し訳ないと思うけど、まだ続くんだぜ!!w