倉敷市東部の足守川西岸の山陽新幹線が通る上東地区の東西500m
南北1,500mの区域に弥生時代後期から古墳時代にかけての集落遺跡
があり竪穴住居跡、製塩炉、波止場遺構などが発見されている。
写真①、波止場遺構の看板
写真②、この道路の地下から波止場遺構か発見された。
波止場遺構の長さ45m、幅 4~14.5m (現在は埋戻しされている)
写真③、波止場遺構の発掘状況(当時)古代吉備文化財センター資料
写真④、波止場遺構の付近のイメージ、古代吉備文化財センター資料
古代は旧国道2号線付近は瀬戸内海の海岸だった。
写真⑤、山陽新幹線の架橋
昭和40年からの新幹線建設に伴う事前発掘調査で上東遺跡が発見され
この遺跡が古代に洪水に襲われて、土器、生活用品などほぼ完全な形で
600点の出土品が見つかっている。
写真⑥、上東遺跡の約500m東を流れる足守川
写真⑦、上東遺跡の北東約3kmにある古代吉備文化財センター
同センターは上東遺跡の発掘調査に参加されておりセンター内に
多くの出土品が展示してあり、写真⑧~➉はこの一例。
(写真撮影OKでした)
写真⑧、壺と器台
弥生時代後期の上東遺跡から長頸壺と大型器台の土器が大量発見され
これらは上東式土器と言われている。
写真⑨、人面土器(分銅形土器)
初めの頃は分銅形の上 部に目鼻を表したものだったが弥生時代後期
には写真のように目鼻が省略されている。
人面土器は全国に900点が発見されているが約40%が吉備地方から
発見されている。
写真➉、波止場遺構の付近で発見された桃核で9,000個以上発見された
水辺の祭祀に使用されたと推定されている。
桃核は大和の纏向遺跡でも発見されている。(2,800個)
下図は上東遺跡の位置で、JR山陽本線庭瀬駅の北約2km、
倉敷駅の北東8.5kmの地点で、北約1kmには先にご紹介した
王墓山古墳群や楯築遺跡がある。
写真⑪、倉敷美観地区の倉敷川の今橋です。
写真⑯、倉敷考古館
ここにも、上東遺跡の出土品が展示してある。
写真⑫、甕形土器/倉敷考古館展示
写真⑬、器台形土器/倉敷考古館展示
<ご参考>
1)古代の波止場遺構の発見は九州玄界灘の「壱岐の原の辻遺跡」に
続き国内2例目です。
2)上東遺跡は次の三段階で発見されている。
①昭和20年代に田畑の地下げ作業中に多数の土器発見
②昭和40~50年代の山陽新幹線計画の事前発掘調査
③平成時代の主要地方道路建設の事前発掘調査
3)上東遺跡の北1kmには、王墓山古墳群(推定80基)や楯築遺跡があり
上東集落の住人との関係があるかもしれません。
4)上東遺跡の波止場遺構は古代吉備の港(吉備の津)で吉備津彦命
が統治したかもしれない港と思うのもたのしい。
<参考資料>
間部忠彦・葭子共著・古代吉備王国の謎
高見茂著・吉備王国残照、 Wikipedia 上東遺跡
古代吉備文化財センター見学、倉敷考古館見学