【Staff monthly blog】千里の道も一歩から ・・・・・・ ? | 千曲中央病院Blog

千曲中央病院Blog

千曲中央病院スタッフによる日々の出来事

「千里の道も一歩から」と言います。老後の貯金をするにも、受験生が合格を目指すにも、適正体重を目指して減量するにも、長い道のりが必要です。

 

「何事もまずはその一歩を踏み出すことが大事だと言うこと、その一歩一歩が積み重なってこそゴールに到達するのだ、この言葉を皆さんに贈りたいと思います。弛(たゆ)まず頑張っていれば必ずいいことがあるのです。新たな気持ちで頑張りましょう!!」  

 

というように使われます。校長先生の訓示でありそうな「良い話」ですが……。

 

まあ、こういった「コツコツ努力の積み重ね」というのは、古から今まで、勤勉な和人(日本人)が好ましいと思う姿勢です。他にも、

曰く、「塵ちりも積れば山となる」とか、「点滴(雨雫)石をも穿(うが)つ」とか。

地道な努力こそ尊いのだとし、「一攫千金」・「アメリカンドリーム」のような一足飛びに手に入る宝よりも価値があるものだと共感するものです。

 

こういう価値観は和人にとって空気のごとく自然に広がっている心性でしょう。事実、日本を代表する作家もこのように書いています。

 

「 いっぺんには天下はとれぬ。千里の道も一歩からだという。まず奈良屋の巨富をねらうことだ」(司馬遼太郎 『国盗り物語』)

 

「出藍の誉れ」=藍より青しと という句も同様ですが、こういう故事成句は、古えの中華世界から和国に輸入されると、和人的心性に塗り替えられて、和人が好む解釈に変化して、いつの間にか、元々そういう意味であったかのように流通するものです。

 

和人の心に寄り添うこと、それはそれで良いのでしょうが、本稿では、漢籍からの出典が、原文から切り離されて、古和人の受容によっての変遷していく、その跡を辿ってみようと思います。

 

『老子』 千里之行 始於足下

「千里の道も一歩から」は、『老子』が由来とされています。でも、老荘思想的な文脈で、「地道な努力が大切だよ」なんて言うものでしょうか? 無為自然、柔弱謙下、小国寡民・・・と社会の「倫理」科目で、キーワードを覚えされられた人(私も含めて)もいるでしょう。そんな浅薄な知識でも、「なんか違うのでは・・・」と感じるのではないでしょうか? 老荘思想は、どちらかというと「余計な努力はしないで、自然のまま力を抜いて・・・」というような感じなのに・・・。

 

では、もう少し、探索範囲を広げてみましょう。

  合抱之木 生於毫末 九層之臺 起於累土 千里之行 始於足下  

                                 『老子』徳経 第64章・第1節

訓読 : 合抱の木は、毫末より生じる。九層の臺は、塁土より起こる。千里の行は、足下より始まる

 

現和訳すると、

「大木も小さな芽から成長して大きくなる、高層建物も盛土から始まり建てられる。千里の行程も一歩から始まる」と訳すことができます。

たしかに、ここだけみると、「塵も積もれば山となる」と重なるように思えます。

しかし、比喩というものはは文脈から切り離されて独り歩きして、別の場所に行き着くことが往々にしてあります。もう少し探索範囲を広げてみましょう。

 

 

その前後に書かれていること

其安易持 其未兆易謀 其脆易泮 其微易散

訓読: 安きは持し易く、未だ兆さざるは謀り易し、脆きは泮り易く、微なるは散じ易し

 

現和訳:  何事も、ごく初めのうちとか、これから・・・と言うときは対処しやすい初めは脆くて、小さいから、揉み消すことはたやすいのだ。

 

これを易しく言い換えると、「マッチ一本火事の元」という標語に通じます。

小さな火の内は簡単に吹き消せるけれども、まだ大したことないわい、と放置して燃え広がり炎となればもはや対処仕切れないもの。凶事、悪事の芽は早いうちに見つけて摘むに限る・・・と言っているわけです。そうすれば、無用な努力・労力をかけずに対処できるでしょう? ・・・というのは、いかにも老子らしい物言い。

初期消火をせず、気付かずに放置して、大ごとになって、頑張って対処しました・・・と言うのは英雄でも賢人でもない、と皮肉を言いたいのでしょう。これこそまさに「老荘テースト」です。

 

先般のコロナ禍も、最初はある国の、ある地方のローカルで新奇な肺炎という火種から始まったという説があります。実際、世界的な、政治・経済を大きく動かす大火となりました。

見えないウィルスを完全に封じ込めるのは、たしかに至難の技(というかほぼ不可能)ですが、ごく初期に警告を発した医師がいたようですから、(その説の真偽はともかく、確かめている暇はないので)、とりあえずそこを無視せずに何らかの対応をしていたら、パンデミックの流れはもしかすると違ったのかもしれません。かの国も、この機会に、古の賢人の警句を学び直しておくとよいのでは。

 

さて、これに続く文は、

為之於未有 治之於未亂

訓読: 之を未だ有らざるにおいて為し、未だ乱れざるにおいて治む  

 

堤防が決壊する予兆のうちに対処し、災害を未然に防ぐ・・・・・小学校の教科書にあった「ハーレムの少年」の物語を思い出します。

 

そこから、最初の文に続くのです。

 

合抱之木 生於毫末 九層之臺 起於累土 千里之行 始於足下

訓読: 合抱の木は毫末より生じ、九層の臺は累土より起理、千里の行は足下より始まる

 

要するに、「どんなトラブルでも、それが始まって間もないうちの方が対処しやすいことのたとえ」であり、原典は、「地道な努力の推奨」なんて話ではなかったのです。

まあ、ここらで、病院ブログらしくまとめますが、

「病院嫌いとか言わないで、こじらせないうちに早めに受診してくださいね!」

「何より、早期発見です。健診・人間ドックを毎年必ず受けましょう!!」

ということです。

 

 

A.T.