【Staff monthly blog】尾瀬の奥の電源開発と日本の高度成長 | 千曲中央病院Blog

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千曲中央病院スタッフによる日々の出来事

最近の山旅で一番印象に残ったのは、尾瀬の北側にある会津駒ヶ岳である。尾瀬の周辺には日本百名山はたくさんある。燧ヶ岳、至仏山、谷川岳、日光白根山、武尊山、平ヶ岳、越後駒ヶ岳、巻機山、そして会津駒ヶ岳である。これらは地質学的には「越後帯」に属しており、フォッサマグナの東縁にあたり、1500万年前に大陸から離れた日本列島の東日本と西南日本が折れ曲がるジョイント部分にあたる。5億年くらい前に遡る蛇紋岩や白亜期の花崗岩などが含まれ、その成因は未だ明らかにされてはいないとされる。
10月初旬の土曜日午前外来が終わった後に、車で5時間かけて六日町から奥只見シルバーラインの20kmの長いトンネルを抜けて銀山平にでて奥只見湖の細いくねくねとした道を通って尾瀬の北玄関口の檜枝岐村についたのは夕方であった。尾瀬といえば通常は群馬県の沼田から鳩待峠に出るのが通常であるが、檜枝岐もまた北関東側からよく行かれる登山口で、どんなところかと思っていたが、鳩待峠とは全く違った静かな村であった。翌日、会津駒に登った。3時間くらいで登れる比較的登りやすい山で、山頂には穏やかな池塘が広がっていた。山からの帰りは細いくねくねとした奥只見湖の道は危ないため北の福島側をずっと上がって新潟に帰ることとした。すれ違う車もわずかな広い道を50kmも行くと、平地の向こうに、20階建てくらいで幅がすごく広い大きな建物が見えた。これはなんだ? まさかこれが田子倉ダムではないかと思ったら、やはりそうであった。平地の真ん中に大きくそびえた違和感を覚えさせる建造物、これが決壊したら大変なことになる、そういった畏れを覚えた。見たこともないものを見てしまったという気持ちであった。右岸の丘を登りダム湖について少し休んだ。
尾瀬の北側には日本で第一位と第二位の発電量の多い巨大ダムが2つある。奥只見ダムと田子倉ダムである。子供の頃から聞き知って興味を持ってはいたが、その頃から50年もたってから現実のものを見れたことに非常な感銘を受けた。ともに建設終了は東京オリンピックの頃で、黒部ダム建設も似た頃である。奥只見シルバーラインは新潟から観光地の尾瀬に抜ける20kmくらい続くトンネルであり、名前からするとどんな素晴らしいものかと思ったが、掘った岩が露出した狭くて暗いモグラの穴であった。穴の抜けた先は銀山平と奥只見ダムの二股に分かれる。そこは山奥の余り人が通らない寂しいところで、冬期は閉鎖となる。電源開発のためにつくった工事用のトンネルである。1億年以上前の堅く厳しい岩石をくり抜いたものだ。黒部立山の電源開発の状況は吉村昭の「灼熱地獄」などに描かれており,戦時中の軍需産業と戦後復興期から高度成長期の日本を下支えしてきたものである。今は、黒部立山アルペンルートとなり北アルプス一番の観光地となり中国、韓国や欧米の人たちで満ちあふれている。一方、尾瀬の北にあるこの地は、尾瀬の三条の滝から流れ出る水、また200名山までいれると15座はある山々の雪解け水を集めて巨大な電気を作り出して、高度成長期から日本の産業を支え、電気がなくなったら何もできなくなる現在の人々の生活を支えている。しかしこの地を知る人はごく稀である。
紅葉に彩られた秋の山上の地塘を歩く人々は、自然の美しさに感嘆する。帰りの暗闇の中で、くねくねとした山道からみた、断崖絶壁に緑の松が点在する荘厳な険しい岩山は、宗教的な神秘の感情を喚起させる。多くの山々はいにしえより信仰の対象であり、美しいモロゲンロートは人々を感動させて非日常を体験させる。一方、電源開発で生まれた深山の巨大建造物は日常を支える礎となっている。南アルプスの木材を切り出したトロッコは家屋という日常をつくりだしてきた。非日常を経験したくて多くの人は山に登るが、その足もとには日常を支える構造があるのだ。50年来の心の取っ掛かりを現実に見ることができて、人間と自然との複雑な関係に思いを馳せた山旅であった。

 


双耳峰は尾瀬の燧岳

 

会津駒の山頂遠望

 

田子倉ダム

 

 

Y.H.