私は昔、なんとなく汚い子どもでした。

 

小学校2年生とか3年生とか、それくらいまででしょうか。

 

「なんとなく汚い」って、なんやそれって感じですよね笑

 

でも、他にうまい表現が思いつかなくて。

 

 

 

 

私の両親はどちらも、発達障害でした。

 

今思い返すと、ですが。

 

当時はまだ「発達障害」なんて言葉はなかったし(あったとしても知られていなかった)、両親がそう診断されたわけでもないけれど、その言動や生活習慣には、明らかに発達障害の傾向が表れていたなぁと、今はわかります。

 

で、うちは母が専業主婦だったので、家事や子どもの世話のほとんどが母にかかってくるという状況で、

 

特に片づけや掃除、洗濯などは、母の苦手分野でした。

 

すると、どういうことが起こるかというと、

 

 

・服が洗濯されないので、何日も同じ服を着ることになる

 

・学校に毎日、同じ服を着ていきたくないので、何日かおきに着回すのだけれど、洗濯しないで何回か着ると、やっぱりなんとなく汚れている感じが出てくる

 

・自分で洗濯すると、まだ子どもなのでうまくできなくて、シミや汚れが残ったり、干し方が下手でシワシワになった服を着て学校に行くことになる

 

・家にたまっているホコリがどうしても服につく

 

・お風呂掃除がされず、「今日はお風呂に入らないで」という日がよくある

 

・かといって、シャワーはもったいないからダメと言われる

 

・身体を毎日、洗う必要はない!と怒られる

 

 

っていう感じです。

 

発達障害にもいろいろありますが、うちの母の傾向として、

 

子どもの身だしなみや身体的なケアに、意識が向かないっていうのがあったんですね。

 

とはいえ、完全なネグレクトというわけではなかったので、私はものすごく不潔とまではいかなかったけれど、「なんとなく汚い子ども」という感じだったわけです。

 

自分でも、他の女の子たちと比べて、「私ってみすぼらしいな」とか「みっともない感じだな」とか「だらしない感じだな」って思っていたので、いつもどこか肩身が狭かったです。

 

 

そんな私も、成長するにつれて、自分で自分のケアをできるようになりますから、4年生くらいの頃には、もう「なんとなく汚い子ども」ではなかったと思います。

 

でも、物心ついたときからあった「私はなんとなく汚い」っていう認識は、なんとなく汚くなくなっても、簡単には消えないんですね。

 

潜在意識に残ってしまうんです。

 

でも、「私はなんとなく汚いっていう(潜在的な)認識が消えていない」という自覚は、ありませんでした。

 

それどころか、自分が昔、「私って、なんとなく汚いな」と思っていたことさえ、忘れていました。

 

潜在意識というのは、自分ではっきりと意識できないから「潜在意識」というのであって、普通にしていたらなかなか気づけないんですよね。

 

で、そのまま大人になり、生きづらさに苦しんだところから、セラピーに取り組むようになって、あるとき、

 

「あれ? 私、自分がなんとなく汚いっていう感覚を持ってるぞ!」

 

って気づいたんです。

 

私はなんとなく汚い、という感覚がある。

 

そして、その感覚は、自分の面倒を自分で十分に見られなかった幼い頃に発生したんだ、ということまでたどり着きました。

 

 

 

 

それからしばらく経ち、今になって思うのは、

 

私がもともと自己肯定感が低かったことの奥には、物心ついたときから持っていた「私はなんとなく汚い」という感覚、思い込みが、原因の一つとしてあったんだなぁ、ということ。

 

もちろん、それだけが原因ではありませんが、子どもの頃に発生した思い込みが、その人の自己肯定感のベースを下げているというのは、よくあることなんですよね。

 

コーヒー

 

今日書いたことは、決して、発達障害の親に育てられたすべての人たちに当てはまるわけではないと思います。

 

ただ、私の場合はこうだった、ということを書きました。

 

最後までお読みくださり、ありがとうございました!