こんにちは。
イケメンです。
先日、福島第一原発の構内視察ツアーに参加してきました。
ただの見学ではありません。
弁当屋であるボクが、なぜ福島第一原発へ行ったのか。
国産食材を大切にしてきた店として、2011年の事故をどう受け止めてきたのか。
そして、実際にその構内に立って何を感じたのか。
今回は、少し長くなります。
でも、これは情熱弁当として、きちんと書いておきたい話です。
今年の2月ごろだったと思います。
たまたま読んだネットの記事で、一般の人でも手続きを踏めば、福島第一原発の構内を見学できることを知りました。
外から眺めるのではなく、実際に構内へ入り、事故のあった原子炉建屋の近くまで行ける。
それを知った瞬間、これは行かなきゃいけないと思いました。
すぐに申し込みをしましたが、全日程が満席。
5月ごろにキャンセル待ちで参加できることが決まりました。
「愛知県名古屋市の弁当屋と原発に、いったい何の関係があるの?」
そう思う人もいるかもしれません。
でも、ボクにとっても情熱弁当にとっても。
福島第一原発の事故は、決して遠い話ではありませんでした。
情熱弁当では、食品添加物を使わないこと。
薬品に頼らない健康な野菜を使うこと。
薬品不使用飼育の肉や魚を選ぶこと。
そういった基準を大切にしています。
そして、その中でも特に重きを置いてきたのが、「国産食材を9割以上」使うことです。
日本の生産者さんを応援したい。
生産者さんの情熱に、料理人であるボクの情熱を薄めずに足して、お客様に届けたい。それが2008年の開業以来、情熱弁当の基本の考え方です。
ところが、2011年。
東日本大震災と福島第一原発の事故が起きました。
そこから世の中の空気が、一気に変わりました。
国産食材を使っているということが、安心ではなく、不安の材料として見られるようになったのです。
放射能に汚染された食材を使っている弁当屋。
そんなふうに見られることもありました。
2011年の情熱弁当は、ほぼ開店休業のような状態でした。
開業して3年目。
それまでは情熱弁当の仕事に加えて、深夜や休日にアルバイトもしていました。
ようやく、これ一本で食っていけるかもしれない。
そう思い始めた矢先の出来事でした。
あれは、本当に過酷な現実でした。
当時は、放射能についての情報も混乱していました。
何が本当に危険なのか。
何を避けるべきなのか。
どこまで気にすればいいのか。
誰もが不安で、誰もが正解を探していました。
その頃、ボクは食の放射能汚染を正しく怖がるセミナーを始めました。
当時は、空間線量計(ガイガーカウンター等)を食材に当てて、これは汚染されていると平気で言う人もいました。
でも、空間の線量を測る機械と、食材そのものを測る機械は違います。
食材の放射性物質を測定するには、食材をミンチ状にして、専用の測定器(ゲルマニウム半導体検出器等)にかける必要があります。
不安になる気持ちはわかります。
でも怖がるなら、正しく怖がらなければいけない。
『2012年の情熱弁当の無添加おせち料理』は、最初は福島応援復興おせちにしようと考えていました。
福島を応援したい。
被災地の生産者さんの力になりたい。
そういう気持ちは、本当にありました。
でも、放射能のことを勉強すればするほど、簡単に食べて応援と言ってはいけないことに気づきました。
応援したい気持ちと、お客様に安心して食べてもらう責任は、別のものです。
ボクは料理人です。
お客様の口に入るものを作る人間です。
だからこそ、気持ちだけで突っ走ってはいけない。
結局、その企画はすべて白紙に戻しました。
愛知県が、被災者の方を受け入れるため、移住や就職の相談会を開いた時期がありました。
その会で、被災者の方に提供するお弁当を作る業者が見つからないと、情熱弁当に県から相談がありました。
当時の不安から、海産物はすべて使わないでほしい。
野菜は静岡県より西のものにしてほしい。
セシウムを吸着しやすい、きのこ類も避けてほしい。
他にも、いろいろな制約がありました。
他の業者さんには、すべて断られたそうです。
情熱弁当なら、すべての食材の出どころがわかります。
確認しながら作ることができるのです。
だから、引き受けさせていただきました。
困ったときは、お互いさまですから。
その役目が終わったあと、愛知県に移住された被災者の方から、SNSを通じて感謝のメッセージをいただきました。
あれは嬉しかったですね。
ある日突然、故郷を追われる。
仕事も、暮らしも、人間関係も、日常も変わってしまう。
精神的にも、経済的にも、どれほど大きなダメージだったか。
簡単に想像できることではありません。
2013年には、名古屋から車で被災地を訪れました。
目をそむけたくなるような、大地震と津波の爪痕が残っていました。
あれから時間が経ち、今回、久しぶりに福島へ向かいました。
集合場所は、富岡町にある東京電力廃炉資料館。
会議室で説明と注意事項を受け、その後、専用のバスで福島第一原発へ向かいました。
身分証明書は、申し込み内容と1文字でも違うと入れません。コピーも取られます。
スマホ、スマートウォッチ、カメラなどの電子機器や記録媒体は、一切持ち込みができません。
東京電力廃炉資料館からバスで約20分ほど。
福島第一原発に到着しました。
テロ防止の観点もあるのでしょう。
道路での検問も含め、セキュリティはとても厳重でした。
金属探知機や荷物検査など、まるで国際線の出国手続きのようでした。
構内では、指定されたベストを着用し、ひとりずつ臨時入構証と個人線量計を装着します。
正直なところ、ボクは全身真っ白な防護服を着るのだと思っていました。
でも、実際には一部のエリアを除いて、ほとんどの場所は軽装で入ることができるのが現在の福島第一原発の姿でした。
それだけ除染や事故後の処理が進んでいるということです。
構内で専用のバスに乗り、1時間強かけて構内を回りました。
驚いたのは、原子炉建屋の近くまで行けたことです。
福島第一原発には、1号機から6号機まであります。
見学用の展望台があり、距離にして100メートルほどでしょうか。
原発の建屋ひとつは、遠くから見てもかなり大きく、ビルひとつがそのまま立っているような存在感がありました。
その中でも、水素爆発を起こした1号機、3号機、4号機も間近で見ることができたのです。
本当は、皆さんにも写真や動画で見せたかった。
でも、電子機器や記録媒体は持ち込み禁止です。
AIによる画像で表現するとこんな感じ。
報道で何度も見たはずの建屋。
ニュース映像で見たはずの場所。
でも、実際に目の前にすると、まったく違います。
画面越しに見るのと、その場に立つのとでは、感じるものが違う。
壊れている。
傷ついている。
でも、ただの廃墟ではない。
廃炉に向かって、今も動き続けている巨大な生命体のように見えました。
構内を走るバスの中央には、全員が見られる線量計の表示がありました。
原子炉建屋の近くや、廃棄物処理設備の近くを通ると、数字がぐっと上がります。
もちろん、見学として許容される範囲内です。
それでも、数字が上がる瞬間は、やはり現実を突きつけられます。
ここは普通の場所ではない。
事故は、まだ終わっていない。
そう感じました。
東京電力の広報の方が、スピーカーマイクで丁寧に説明しながら案内してくれました。
見学者10人に対して、1人の社員さんが引率についていました。
特に時間をかけて説明されていたのは、汚染水をどのように処理し、ALPSなどの設備で放射性物質を取り除き、処理水として希釈し、海へ放出しているのかという部分でした。
ここは、東京電力としても一番伝えたいところだったのだと思います。
印象的だったのは、説明全体を通して、東京電力側の姿勢がとても低かったことです。
自分たちの事故によって、多くの方に迷惑をかけてしまった。
地域の暮らしを壊してしまった。
その前提が、説明の中に一貫してありました。
もちろん、それで許される話ではありません。
失われた暮らしは戻りません。
故郷を離れざるを得なかった人の時間も戻りません。
でも、現場で説明している人たちもまた、その重さを背負って仕事をしているのだと感じました。
原発は、事故さえ起きなければ、安定した発電方法だったのかもしれません。
二酸化炭素の排出が少ないという意味では、クリーンな発電だと言われることもあります。
でも、物事に絶対はありません。
起きないはずの事故が起きる。
想定を超える津波が来る。
安全だと言われていたものが、ある日突然、安全ではなくなる。
そこから何を学ぶのか。
「じゃあ、原発なんていらないじゃないか。」
「全部廃炉にすればいいじゃないか。」
そう言うのは簡単です。
ボクも、感情だけで言えばそう思う部分があります。
でも、世の中はそんなに単純ではありません。
ウクライナの戦争や中東の情勢によって、ガスや石油の価格は大きく揺れました。
電気代が上がれば、家庭も企業も苦しくなります。
食品を作る現場だって、光熱費の高騰は大きな負担です。
発電方法が何であれ、電気は電気。
少しでも電気代を抑えるために、原発再稼働も必要ではないか。
そんな声が出ても、不思議ではありません。
だからこそ、難しいのです。
原発を使うことで、今を生きる私たちは便利な暮らしをしてきました。
でも、使用済み燃料や廃炉の問題は、次の世代へ先送りしている部分があります。
今の利益を先に受け取り、後始末を未来へ渡す。
それが本当に正しいのか。
でも、そうするしかなかったのか。
簡単に答えは出ません。
福島の海と山。
風光明媚な自然。
その土地に大きな負担をかけて作られた電気は、遠く離れた大都市へ送られていました。
では、いったい誰が幸せになったのか。
誰が得をして、誰が痛みを背負ったのか。
バスの窓から見えた、荒れた農地。
かつて誰かが耕していたであろう広い土地には、雑草だけが元気よく伸びていました。
人の暮らしが消えた場所で、草だけが淡々と生えている。
その景色が、妙に胸に残りました。
食を扱う人間として、ボクはやっぱり現地を見ておきたかったのです。
福島の事故は、電力の問題だけではありません。
農業の問題でも、漁業の問題でも、食の安全の問題でもあります。
そして、生産者さんの誇りの問題でもあります。
国産食材を大切にする。
日本の生産者さんを応援する。
そう言って商売をしている以上、都合のいい部分だけを見ていてはいけないと思いました。
安心は、言葉だけでは作れません。
信頼も、雰囲気だけでは積み上がりません。
知ること。
見に行くこと。
考え続けること。
その積み重ねしかないのだと思います。
無関心こそ、最大の敵です。
時間が経てば、人は忘れます。
ニュースで見た衝撃も、少しずつ薄れていきます。
でも、現地では今も作業が続いています。
廃炉には、まだ長い時間がかかります。
事故は過去の出来事ではなく、今も続いている現実です。
今回、配布していただいた資料の多くは無断転載不可でした。
SNSやブログで書ける範囲も限られています。
それでも、伝えられることはあります。
テレビやネットで見るだけでは、わからないことがあります。
現地に立って、初めて感じる重さがあります。
正しい、間違っている。
賛成、反対。
そんなふうに簡単に分けられない現実があります。
だからこそ、一度は自分の目で見た方がいい。
生きているうちに、一度は福島第一原発の視察ツアーに参加してみてほしい。
怖がるためでも、誰かを責めるためでもありません。
ちゃんと知るためです。
そして、忘れないためです。
ボクは、行ってよかったと思っています。









