『父よ、生きよ!15』 | きりんはツノの先端に毛が生えているのがオスですよ

昨年の12/25からブログの更新が出来ずすみません。父の闘病の様子を綴ることで成人T細胞白血病(ATL)について知ってもらおうと思っていたのに、年末から父の闘病は最終局面に入り気持ちに余裕がありませんでした。



今年の2月7日

父は他界しました



最期はつきっきり状態だった私の目を盗むように、私が少し病院を離れた隙に逝ってしまいました。苦しまず眠るような最期でした。



父が亡くなってから、他の家族の不幸もあったり、自分自身を見直したりとしていたら、だいぶ間が空いてしまいました。
現在は、楽しく平穏な時間が続いていることで気持ちも落ち着いているのでまた少しずつ記憶を辿って書いてみます。自分の記録用として。


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昨年の12/25に更新したブログは、ちょうど1年前の今日、父の容体が急変しGICUに入ったところでしたね。

父は2日ほど意識がない状態が続きました。ベッドで意識のない父にかけてあげられる言葉が見つからずただ途方に暮れて泣いていました。数日前には移植の成功を一緒にお祝いしていたのに…と。

父が目を覚ましてからも、しばらく呼吸器が外せない状態だったので会話はできませんでした。短い面会時間にはSNSに書き込まれた応援のコメントを父に読んで聞かせました。言葉もかわせず腕も呼吸器を外さないように固定されていたため、意思疎通が図れず父が喜んでくれているのかもわかりませんでしたが、呼吸器が外れるまでの数日は同じようにSNSを読んで聞かせたり写真を見せていました。

父が目を覚まして3日ほど経ってGICUに面会に行くと、父の病室から声がしました。看護師さんたちが父をベッドから車椅子に乗せてくれているところでした。数日寝たきりだったのに立ち上がり車椅子に乗った父を見て看護師さんたちがとても驚いているところでした。昨日までの父の姿とは違いいつもの父が戻ったようでとても嬉しかったのを覚えています。



車椅子に乗りテレビを見始めた父と話をしてみると会話が噛み合わないことに気付きました。

父「今日はどこから来た?」
私「家だよ」
父「遠くから来たんだなぁ」
私「なんで?すぐそこだよ」
父「そこ?今どこ住んどるんだった?北海道じゃなかったかぁ?」
私「え?名古屋だよ?」
父「名古屋?」
私「…私、誰だかわかる?」
父「…?誰だったかな?」
私「チカだよ、チカ!」
父「チカ!?チカは大阪で婆さんとおるだろ?…誰だった?」


父は強い薬で意識を失い、数日意識がもどらず、戻っても呼吸器を付けていたため飲まず食わずで数日過ごしたことにより、脳にダメージが出たのか、入院したこと・病気のこと・移植したこと・私が娘であること…などなど色々と記憶を失っていました。