中村哲さんを偲んで | 小さい田んぼ

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12月4日2019年

中村哲さんが銃撃され失命。

 

先日

船橋で開催された中村哲さんパネル展に行ってきた。

会場の室温が高くて

上着を脱いでも額から汗が滴り

空気はこもって息がしにくく

気分が悪くなり5分くらいで退出。

そんな中でも

熱心にパネルを見る人たち

座ってビデオ上映を見る人たち

黙々と受付をする人たち

なんか違う世界に紛れ込んでしまったような

落ち着かない気持ちになって会場を後にした。

でも

中村哲さんを偲んで

あるいは氏の志を胸に刻もうとするかのように

その場にいる市井の人たちの存在を知り

温かいものを受け取って帰ることができた。

 

数枚見ただけのパネルだったが

用水路の恩恵を受けての様々な実りの写真は

実に美しく、豊かさを映し出していた。

蜂蜜や農作物、人々の暮らしと労働、子供達の笑顔。

 

会場でもらった資料の中に

2013年6月6日付の毎日新聞のコピー。

そこから中村哲さんの言葉を抜粋

「憲法は我々の理想です。憲法は守るものじゃない。実行すべきものです。この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし、それが正常な国家だなどと政治家は言う。これまで本気で守ろうとしなかった憲法を変えようだなんて。私はこの国に言いたい。憲法を実行せよ、と」

 「欧米人が何人殺された、なんてニュースを聞くたびに思う。なぜその銃口が我々に向けられないのか。どんな山奥のアフガニスタン人でも、広島・長崎の原爆投下を知っている。その後の復興も。一方で、英国やソ連を撃退した経験から『羽振りの良い国は必ず戦争をする』と身に染みている。だから『日本は一度の戦争もせずに戦後復帰を成し遂げた』と思ってくれている。他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。アフガニスタンにいると『軍事力があれば我が身を守れる』と言うのが迷信だと分かる。敵を作らず、平和な信頼関係を築くことが一番の平和保障だと肌身に感じる。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条は日本に暮らす人々が思っている以上に、リアルで大きな力で、僕たちを守ってくれてるんです」

 

わたしは2000年前後、ラオスでNGO活動に従事したとき、憲法9条や戦争しない平和国家の一員であることを意識して、ラオスの地で暮らし活動していたと思う。活動地の近くで武装テロがあり多くの人々が命を失い、外国人も銃撃された事件があった。その後、大使館から移動の自粛が求められわたし達の活動は大きく制限された。一方で日本政府直轄のプロジェクト地に赴く邦人には武装警察の護送がついた。このことで、わたしはあれこれ考えさせられた。武装した護送があれば安全なのだろうか? かえって危険を呼ぶことになるのではないか? わたしたちは活動には行けないがどうするべきなのか? 武装による護送を頼むべきなのか? そうすることで日本人であるわたし、行動を共にするナショナルスッタフや、活動地の村人も危険に巻き込むことになるのではないか? やはり粛々と自粛するべきなのか? このまま活動が途絶えて村人は失望しないか? などと延々と堂々巡りの自問自答を繰り返した。

 

今の日本では、大軍拡が行われようとして、それは安全保障のためだと言う。本当だろうか? 安全保障と言いながら、日本の自給率は40%未満で、海上封鎖や経済制裁を加えられればすぐに食料は足らなくなるのに、国内農業は衰退の一途の現状。

 今朝のニュースでもインドネシアの火山噴火が報じられ、世界各国で自然災害が頻発し、ウクライナとパレスチナでは武力攻撃が続き、多くの人たちの暮らしが破壊され命が奪われいる。

 

憲法9条を持つ日本はこんな時だからこそ、災害救助のための救援隊を派遣できる唯一の国なのに、なぜそれをしないのか?なぜメディアは報じないのか? 

 報道で見る世界各地の紛争、地震や噴火、洪水、干ばつなどで苦しむ人たちの姿を目にするたびに思う。