1.モナ・リザの気になるところ
レナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザはパリのルーブル美術館にある。
残念ながら、私は画集やインターネット上の画像でしかモナ・リザを見たことはない。
家族の中でモナ・リザの本物を見ていないのは私だけである。(ちょっと悔しい)
その絵に何か特別なとびっきりの感情(例えば感動)を抱くのは、体調、気分、経験、まわりの状況等々が影響する。
本物を見ている時に、丁度ピッタリの条件で巡り合うとは限りらない。
何か特別なとびっきりの感情が画集を見ている時に突然訪れることもあるのだ。
だから、モナ・リザの本物を見ていないことは、それほど気にしていない。
本物を手元において、いつでも好きな時に見ることができたら、それはそれで一番いいに違いない。
しかし、そうできない場合には、本物を僅かな時間見るよりも、好きな時に好きなだけ見ることができる方が私は好きである。
もちろん、本物を見て、画集やインターネットの画像を見ている方がもっと良いのは確かだと思う。
(1)ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」を見る
この絵はローマのボルゲーゼ美術館にある。
制作年は1505~1506年頃
モナ・リザを見る前に、ラファエロの一角獣を抱く貴婦人を見てみよう。
一目して、この絵がモナ・リザの影響を受けていることは見て取れる。
鑑賞者から見て女性が身体をやや左向きにして腰掛けて座り、顔は少し左を向いている。
目は正面を見ている。
女性の座っている位置は、手摺の手前で、二本の円柱の間である。
円柱の礎盤が手摺土台(正式の呼び方はではないと思うけど)にのっている。
手摺の外に山々が広がっている。
そして、一角獣が両手で抱えられている。
モナ・リザと同じような年代に描かれているが、色彩が鮮やかである。
レオナルドの若い時の作品、例えば、「受胎告知」(1472年頃)は色鮮やかである。
レオナルドが高齢になった時の作品は、暗い絵が多い。レオナルドが独自の絵の具を使っていて経年変化したのか、それともレオナルドの意図か分からない。
ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」に戻る。
ラファエロはこの絵を線遠近法に従い、視点を固定した時に得られると考えられている秩序ある空間に仕上げている。
円柱の礎盤のから、消失点を探ってみよう。
消失点は女性のあごの下で、絵の左右の真ん中にある。消失点から垂線を引けば、絵は二分割される。
遠くの山々の見え方からすると、女性がいるところは非常に高いところだと言うことができる。それでも、誰でもその高いところからみれば、山々はそのように見えるように描いてある。背景の描き方は自然である。
(2)モナ・リザを見る
制作年は1503~1519年頃
ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」に比べると、モナ・リザは全体としておぼろげな感じする。
見え方が自然でなく、超自然な感じがする。
ラファエロと同じように、分析してみよう。
消失点は女性の左目の上の額にある。
絵の左右の真ん中にあるところはラファエロと同じである。
消失点から垂線を引けば、絵は二分割される。
左側の手摺は右下がり、右側の手摺は左下がりになっている。
この右下がりと左下がりの交点も絵の左右の真ん中にあり、消失点を通る垂線はこの交点を通る。
絵の具の経年変化のためか境界線が曖昧になっており、そのように見えるのかもしれないが、今私が見ているモナ・リザはそうなっているのだから仕方がない。
これは、レオナルドが絵の中央に立って描いているのではなく、左側は左によって見た景色を描いていて、右側は右によって見た景色を描いているということだ。
もしモナ・リザがいなければ、視点の違いは絵の中央であらわになる。あらわにしないのが中央のモナ・リザの存在である。
セザンヌが、多視点のテーブルを描いた時、テーブルクロスがその多視点の衝突を隠したように、レオナルドはモナ・リザによってその衝突を隠したのだ。
視点の高さは、本来は消失点である。しかし、この消失点の高さから見るとモナ・リザの右肩の高さにある山頂は上から見下ろしたようになると思われる。
山頂の描き方から見ると、視点の高さはせいぜい顎の下くらいではなかろうか。
右の景色は橋という人工物の大きさからして、左の山よりもずっと手前にあるハズなのに山と同じ遠さに描いてある。橋を水平移動して左の山の長さと比べてみるといい。
レオナルドは近景と遠景を水平に配置したのだ。
そうすることで、モナ・リザの絵を見る時、心の中に揺れが生じ、日常的な空間とは異なる空間を感じる。そのため、不思議に思い、謎解きに入るのだ。
レオナルド自身はこうした心の動きを楽しんでいたのではなかろうか。
モナ・リザはラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」に比べて、どのくらい高い位置に座っているのだろうか。
ラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」の建物は地上にある。
モナ・リザが座っている建物は、とてつもなく高い位置、天空に近いところで浮いているような感じがする。
絵の右側でモナ・リザの左肩に付きそうなくらいに近いものは、山にも、岩にも、屋根にも見える。
浮いていないとしたら、何か不自然な近さに感じる。
浮いているなら、その山の裾野はモナ・リザの足元のはるか下にあるのだろう。
レオナルドはモナ・リザに筆を入れる時が至福の時だったろうと思われる。
そうでなければ晩年までこの絵を手元におくことはなかったろう。
モナ・リザを描くキッカケは肖像画の注文だったかもしれないが、途中でレオナルドは制作意図を変更したと思われる。
モナ・リザにモデルはいたかもしれないが、10年以上も書き続ければ、10年以上前に見た女性は心の中で理想の女性になる。
レオナルドが迫ろうとしたのは、レオナルドが心の中で生涯大切にしている女性だったのではないだろうか。(これは私の想像)