千枚田の中にポツンとある磐座。
レイラインを繋ぐアンテナのように見える。
「さて、イワレビコがその太刀を受け取ると、その熊野の山の荒ぶる神は、自ずと皆、切り倒されてしまった。そして、倒れていたイワレビコの軍の者は皆、目を覚まして起き上がった」
神武軍は、フツノミタマを受け取ると、目を覚まして起き上がり、ニシキトベを討った。その時、ニシキトベの身体はいくつにも切り分けられ、何ヶ所にも分けて埋葬されたのだと言われている。
一体、何故そんなことをしたのだろう? 身体を切り分けて埋めるなんて……?
津名道代さんによれば、龍蛇族は討たれた時に切り分けて埋められることになっていたんだそうだ。ニシキトベも清姫も、龍蛇族。ニシキトベと同様に神武軍に討たれたナグサトベも、やはりいくつもの場所に分けて埋められた。
龍蛇族。縄文人と言っても、いろいろな部族がいたのだ。龍蛇族はその一つだった。
熊野には熊族、蛇族、亀族、鳥族、蛙族と五つの部族があったのだそうだ。
トーテムのようなものなんだろうか? 動物を部族の守り神のようにしていた人々?
熊野には五郷という土地があるけれど、それは五つの部族が住んだ土地だという意味なんだと言う。五郷はそんなに大きな集落でもないようだけれど、そんなところに五つもの異なる部族が住んでいたのだ。一つはアイヌ系、一つは南方系、一つはアメリカ・インディアンと同根の民族……。今の感覚からしたら、ずいぶんと国際色豊かなところだったのかもしれない。その一つが龍蛇族だった。
身体をいくつもに切り分けると言ったら、ヤマタノオロチの話を連想する。スサノオが八つの頭を持つ大蛇ヤマタノオロチを退治するために、強い酒で酔っぱらわせて、その頭を次々と切り落としていったという話。あれも化け物退治の話なのだけれど、真相はそうではなく、あれは龍蛇族を武力で征服した話なのだという説もある。
ニシキトベの部族を征服した話が大熊退治の話になったのと同じように、だ。
ヤマタノオロチ退治では、切ったところから剣が出たのだと言う。草薙の剣だ。あれは、出雲の龍蛇族を倒して鉄を得たという話なのだという説がある。
鉄。ここでもやはり製鉄なのだ。剣を作るための鉄。そこに龍蛇族が関わってくる。
龍蛇族。それが、水脈や鉱脈を感じ取る人々、磐座を本拠地にして、採鉱を行う部族……。
あるいは、この龍蛇というのは龍脈のことなのかもしれない。
龍脈というのは、鉱脈や水脈と関わって、地中を走っている気の脈だ。西洋ではレイラインと言っているあれのことだ。
磐座は、地下の水脈や鉱脈の波動を岩の配列によって増幅し、巨大なエネルギーのフィールドを作り上げる。ところで、このエネルギーを他の場所と繋ぐことによって、遠くへ送ることもまた可能なのだ。
それがレイライン。磐座をアンテナにして、一つの磐座からもう一つの磐座へと走っているエネルギーのラインだ。だからレイラインは、一つのスポットからもう一つのスポットへと、直線的に走っている。
イギリスの南部には、聖ミカエルのレイラインと言われるエネルギーラインが走っていて、これはコーンウォールからロンドンの北のあたりまで、イギリス南部を横切って、まっすぐに走っている。その線上にはいくつもの聖地、ストーンサークルや古墳などが位置している。エヴベリーの巨大なストーンサークルもグラストンベリーの丘も、その線上にぴたりと乗っている。
ところで、レイラインというのは、実際には陰と陽のエネルギーのラインが螺旋状に旋回しながら伸びているのだ。地表の上でこのラインを辿っていくと、直線上を2本の線がウネウネと蛇行しているような形になっている。陰と陽のラインが、鏡合わせのように蛇行しながら、ちょうどレイラインの中心のところで、交差している。
これを立体的に見た場合、レイライン上を2本の線が螺旋状に回転している形になっているわけなのだ。ちょうど、縄を絡み合わせたような具合に。この幅は、端から端まで2-3キロにもわたっている。
それがレイライン、龍脈。
地を這う巨大な2匹の蛇だ。雄と雌が交尾する時のように、絡み合っているエネルギーのライン。
あるいは、これが龍蛇族という名の由縁なのかもしれない。龍脈の力を使う民族。水脈や鉱脈の地のエネルギーを使う人々の……?
磐座の民である龍蛇族は、レイラインを繋げることも当然知っていたはずだ。
レイラインを繋ぐのは、難しいことではない。原理は磐座と同じ。岩をアンテナとして立てればいい。磐座によって山全体が強い波動を帯びている場合、その山がよく見えるところならば、キャッチできる。すると、その岩は山と同じ波動を帯びて周囲に放射する。
磐座によく尖塔のような岩があったり、または鏡石のように平らな岩が垂直に立てられていたりするのは、そのためなんじゃないかと思う。あれは、塔状の送信アンテナであり、受信用の板状アンテナなのだ。
縄文時代、磐座と磐座はこうしたレイラインで互いに繋がっていたのだ。そうやって日本中が網の目のように繋がっていたのかもしれない。
ヤマタノオロチとは、このことを言っている可能性がある……。
「オロチ」には「大蛇」という字が当てられているけれど、これは本当は「峰の霊力」という意味なのだと言う。
峰の霊力。まさにレイラインだ。
磐座のある山が互いに繋がれ、四方八方へ広がっている。これを不活性化するのは容易なことではないだろう。それが八つの頭を持つ大蛇、ヤマタノオロチの話になったのじゃないんだろうか?
もし、そうだとすれば、スサノオがヤマタノオロチの首を次から次へと切り落として退治したというのは、この龍脈の繋がりを一つ一つ断っていったという話なのだ。そして、地域全体の巨大なエネルギーフィールドを不活性化し、ついにその地方を征服したということ……。
切り分けることで征服された出雲の龍蛇族。
龍蛇族が身体を切り分けられて埋められたという話、あるいはそこから来ているのかもしれない。龍蛇族が討たれた時に、バラバラに切り分けられたとは……?
縄文の山人族が、鉱山を守っていたのだ。その山人族から鉱山を奪うためには、彼らが力の源としている磐座を不活性化しなければならない。それで磐座から磐座へと繋ぐレイラインが断ち切られていき、あたりを走っていた巨大な蛇のような磁場が消える。それによって、龍蛇族は力を失い、征服されていったということなのかもしれない。
イギリス南部の聖ミカエルのレイライン。
一直線上を2本の線が蛇行している。
一本は聖ミカエルのライン(陽)、一本は聖マリアのライン(陰)。
ヤマタノオロチ
(2015年2月のチャネリング記録)
「よく私の本当の姿を認めてくれました」と言って、姿を現したヤマタノオロチは、予想外にも美しい女性の姿をしていた。
つややかな笑みを浮かべた美しい黒髪の女性。白いなめらかな肌は若い女性のようで、黒い目がキラキラと水のしずくのようなしっとりとした輝きを放っていた。
これがヤマタノオロチ。私は泣きたくなった。
毎年一人の処女を餌食にするという怪物ヤマタノオロチ、それは野卑な男性的な存在を想像させる。そのヤマタノオロチが、美しい女性であったとは。
ヤマタノオロチはかすかな笑みを口元に浮かべた。その笑みの輝きとともに、私の内なる問いへの答えがあらわれた。
供犠にささげられる処女とは、女王に仕える巫女たちのことだったのだ。磐座を神殿として近辺の土地を統べる女王、それがヤマタノオロチ。クシナダヒメは、その巫女となるはずの娘だった。
それをスサノオは妻として娶り、八重垣に囲ったのだった。
当時の巫女たちは、性愛の力によって神々とアクセスし、つながりの共振の力で世界に奉仕していた。一夫一婦の結婚は存在していなかった。大陸からやってきた神々が、結婚制度を土地の人々に強制したのだ。
その最初の結婚をしたのが、八重垣姫となるクシナダヒメだったのだ。
ヤマタノオロチはつややかな色気を放つ高貴な女性で、蛇女という言葉から連想されるような陰湿な執念深さのようなものとはまったく無縁なように見えた。
性愛が自由で開放的で、美しく神的なものであった頃の女王。
そのつながりの力強さ、それが失われた哀しみが、ヤマタノオロチのエネルギーを暗さのあるものにしてしまったのだ。性への欲求を卑しさのあるものにしてしまったのだ。
ヤマタノオロチ。それは八方へ広がるつながりの網の目。たしかな信頼と親愛に結ばれた力。
そのとき、人間の存在のすべての部分が誇りをもって生きられていた。隠すものが何もない人々の大らかな顔。開いた顔。
それは過去の姿でもあり、未来の姿でもあるのだと、ヤマタノオロチは言った。
「だから、どうぞあきらめないで」
それは誰の中にもある、闇に封じ込まれてきた部分。
それが表に出て、明るい陽に照らされ、輝く日が直に来る。
そのときヤマタノオロチは、光のような白く輝く存在になって、世界をつなぐのだろう。
豊かさも愛も、すべてはあたり前のように循環する世界で。
オロチとは、「峰の霊力」を意味するそうだ。
ヤマタノオロチとは、山に宿る霊の力のつながり。山から山へと網の目のようにつながった磁場。レイライン。
地上の世界を動脈のように息づかせるエネルギーの網の目。それは風景に神々を宿らせる。
すべての存在は祝福を受ける。生のきらめきに満たされて。
そのつややかさ。
そこで生きる者は、自在さということを知っている。すべてが意のままに動いていくかのような事の流れを知っている。
それは単に、障壁が消えただけのことなのだ。
それが豊かさ。
貧血状態が消えて、血の気がさした風景。
地上世界はいのちに満ちる。