若かりし頃のアシュケナージのショパン(長いです、この日記) | 心と体をラクにするピアノ奏法

心と体をラクにするピアノ奏法

ピアニストでピアノ講師の荒井千裕が
ピアノの奏法、呼吸法、身体の使い方をお届けします。


ウラディーミル・アシュケナージ氏の1976年のショパン、ピアノ・ソナタop.58の演奏を聴いている。


アシュケナージ氏ももうかなりの年配。
最近では指揮者としての活動が多い。
数年前に香港に演奏会にいらしてくださった時も・・・


ピアノ・指揮:アシュケナージ


という触れ込みに踊らされてチケットを買った人たちが多くを占めたでしょうに・・・私もその一人でしたが

アシュケナージ氏がピアノを弾いてくださることは・・・ありませんでした。


ただ・・・指揮棒を振られただけ。


と書くと、指揮の勉強をされている方々からお叱りを受けるかも。。。



でも、私自身に限って言えば、アシュケナージ氏に期待するものは、ピアノだけです。


思いのほか小さな体で(実際、その小ささにビックリした)、 彼の人柄を体いっぱいに表して指揮する姿を、私は ステージにものすごく近い席で見ることが出来ました。

でも・・・私は、彼のピアノが聴きたかった。

実は、私が高校生時代の同級生で、幼少のころにアシュケナージ氏にピアノ指導を受けたことがあるという人がいた。

それで、来日するというので、一緒にコンサートに行こうとチケットを取ったことがあったが、何かの都合で、そのコンサートは突然キャンセルとなったことがあった・・・・・と私の記憶違いかもしれないけれど、そういう記憶がある。

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話が出たついでに(ついでか?)
この日記をお読みの皆さんもご存知のこともあるでしょうけれど・・・

ウラディーミル・アシュケナージ氏のことを少し・・・

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1937年7月6日、ユダヤ系ピアニストの父、ロシア人の母のもとに旧ソ連(現ロシア共和国)のゴーリキーに生まれました。

6歳よりピアノを学び、7歳のときには早くも学生オーケストラと共演して注目を集めたそうです。

9歳の時に、モスクワ音楽院付属中央音楽学校に入学し、以後10年間に渡って、アナイーダ・サンペティアンに師事。

モスクワ音楽院に入学した1955年、わずか18歳でショパン・コンクール第2位に入賞して一躍脚光を浴びました。(ウワォ!!!)

モスクワ音楽院ではレフ・オボーリン、ボリス・ゼムリアンスキーのもとで勉強を続けながら、56年にはエリーザベト王妃国際音楽コンクールでみごと第1位となり(うひゃ~~~!)、
在学中からしばしばヨーロッパ各国での演奏活動を行なうようになりました。

デビューは1956年頃ドイツにて。

1960年にモスクワ音楽院を卒業すると、62年に出場したチャイコフスキー国際音楽コンクールにおいて、イギリスのジョン・オグドンとともに優勝を分け合うというすばらしい成績をおさめたそうで、これ以降、国際的な音楽活動を本格的にスタートし、その実力を広く世界に知らしめることとなったようです。

1963年から68年までは、イギリスに住み、それ以降は、モスクワ音楽院時代に知り合ったアイスランド系のピアニスト、トルーン・ジョハンスドティールと結婚したことを契機に、早くからアイスランドの首都レイキャビクに住むようになり、現在も そこに住んでいるようです。

1972年にアイスランドの国籍を取得、1974年には正式に旧ソ連の国籍を離脱したとのこと。


また指揮者としても活躍しているのは周知の通り。
そのデビューは70年のアイスランド交響楽団を振ってのこと。

初来日は、1965年にピアニストとして。(ぐわ!私が生まれた年だ!>暴露)

それ以来、10数回来日しているそうです

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彼くらいの世代の音楽家ですと、世に出た頃の、輝かしい演奏の録音が残っていることが多いですよね。


そして・・・

アナログからデジタルへの変化に伴い、あわせて、アナログ録音をデジタルに変換させることもできるようになり、今でも、アナログ・レコードが宝の持ち腐れとならず、デジタル化して聴けるようになってきました。
(アナログ・レコードの時代に私が聴き漁っていた・・・といっても多くは学校の視聴覚室で聴いていたので、それ以前に自分でおこづかいを貯めて買ったレコード・・・その多くはケンプ氏のベートーヴェンのソナタでした)

だから・・・私達は、彼らの貴重な演奏を、今でも聴くことができます。

私達が、生きている年代がだぶらない、少し(あるいは、かなり)前にご活躍されていた方々の演奏をも聴くことができます。
ラフマニノフご本人の演奏を今でも聴くことができるなんて、なんて素晴らしいのでしょう。


それはさておき・・・


彼ら音楽家の若々しい頃の、みずみずしい演奏を聴けるなら・・・


それから紆余曲折してこられて、その後の彼らの演奏がどう変わったか、聴きたいと 私は思うのです。そう、思いませんか?


自分自身のつたない演奏だって、10年前の同じ曲とは、全く解釈が違ったりします。

そうじゃありませんか?


もし、同じ解釈だったとしても、それを こういう音にしよう、という気持ちの込め方が違う。



私は、このアシュケナージ氏の若かりし頃のショパンのピアノ・ソナタop.58にかなり魅せられています。


というのは、もしかして、前にも書いたかもしれないのですが、私の思惑と全く違うから。


私がイメージしたこのソナタと違う。

だけれど、心を同化できる何かの素材があるから。


そして、私が見た、アシュケナージ氏の指揮者としての音楽世界と違うものが見えるから。

それは、<OP.58>通称ピアノ・ソナタ3番だけじゃなく、葬送行進曲で有名なピアノ・ソナタ2番こと<OP.35>の演奏もです。(1981年演奏>OP.35)


私は、今現在のアシュケナージ氏のピアノが聴きたい!



どうして、指揮者活動をされているのだろうか?
それが、わからなくもない。
私自身も、まだまだ小僧だった頃に、指揮者になりたいと思ったことが一瞬でもなかったわけじゃない。

なんか、こう、吹奏楽とか管弦楽に関わると、多分、自分ひとりでピアノを弾いている世界と、違うものが見えるし、それに魅了されるだろうことは、私なんかでも わかる。


世界が認める一流ピアニストですから、世界を股にかけた演奏旅行で、世界中のオーケストラと競演されたでしょう。


自分自身が指揮を振って操ってみたい、そう思うでしょう。



わかる気がする。


あの、映画「SHINE」の主人公として描かれたオーストラリア在住のユダヤ系ピアニスト、ヘルフゴット氏だって、ラフマニノフのピアノ協奏曲を演奏するにあたり、指揮者の存在など目に入らないかのように、自分がピアノを弾いていない時は、自分なりの指揮をしていらした。



またまた、脱線するけれど、かの大作曲家、ベートーヴェンが、耳が聴こえなくなってから・・・


彼の聴力に疑問を持った楽壇が、一つのステージで、ベートーヴェンのほかに、もう一人の指揮者を立てた。

一つの、全く同じステージで・・・一つのオーケストラに対して、指揮者が二人いたのだ。


きっと、多くの楽団員は、耳の聴こえないベートーヴェンを信用せず、もう一人の指揮者に従って演奏したのでしょう・・・耳の聴こえないベートーヴェンの作品を演奏するステージであったのに・・・


脱線しまくりですが、耳が聴こえないことと、だから音楽が聴こえない、操ることが出来ないということは、同じ次元で考えられないことを私は知っています。

そういう人たちを見ています。

言葉が聴こえないのと、<音(サウンド)>が聴こえるか否かというのは、同次元では語れないことなのです。


ココが音楽の不思議です。


もともと、人間に聴こえると言われている<音>(あらゆる雑音を含む)・・・
それは限られています。
ご存知のように、犬に代表される動物は、人間に聴こえない様々な音を察知することができます。


音を、大きく、生活音に代表される雑音と、純粋に、「音楽」としての<音>に分けることが出来るなら・・・きっとできるのだと思います。

その周波数やうねり方は違うでしょうから・・・


だから、元々、心の底に、体中に音楽がある いわゆる音楽の才のある人々には、我ら健常者とは別の音のつかみ方があるのだと思います。

周波数をキャッチする能力の違いと言いますか。
絶対にあると思います。

でなければ、私はどうしても理解できない、そういう人たちとの極身近なところでの出会いがありました。


脱線しまくり・・・ですね。

きっと、すごく理解しにくい日記だと思います。
疑問に感じることがありましたら、メールしてください。


さて・・・・

やっと話を戻します。


この、アシュケナージ氏のショパンのピアノ・ソナタ・・・


素敵です。

実際の演奏を生で拝見したかった。
録画はないのかな?
あったらDVD化されるでしょうに・・・


顔はよろし。手元を見せていただきたい。

私は、同じピアノ・ソナタのキーシンの演奏、それから、1980年のショパン・コンクールで、ベトナム出身のダン・タイ・ソン氏が優勝した時に、審査員評が真っ二つに分かれ、決勝戦を逃したことで審査員を辞退した方が二人も出たことで(マルタ・アルゲリッチ氏含む)話題になったポゴレリッチ氏のショパンのピアノ・ソナタの演奏を、生で聴く機会がありましたが・・・


お二方とも・・・まるで魔法にかけられたように私の心を鷲づかみにして引っ張っていってしまいました・・・そんな演奏。


今でも、あの演奏が忘れられない。


だから、何度も、私はショパンのソナタの楽譜を取り出し・・・自分が持っていない版を見つければ躊躇なく買い、何が違うか見定め、取り組む・・・


けれど、どうしても 何か引っかかるものとか、くじけてしまうものがあって、諦めて・・・また魅了されて、取り組んで・・・そういうことの繰り返しだった。



でも、今回、私は、一大決心をして、このソナタに取り組む。



私は・・・この いわゆるショパンのピアノ・ソナタ第三番(OP.58)に取り組んでいるけれど、私は、ショパンのピアノ・ソナタの三曲中、一番好きなのは、いわゆる第二番(OP.35)です。


でも、ナンにせよ、私は、ちょっと(ちゅーかかなり)ショパンの作品に対してしり込みしてしまうところがある。

<トラウマ>なんて、最近聞く言葉だけれど、その言葉を借りるなら、私には、ショパンのピアノはトラウマなのだ。


それを、乗り越えたいというか、乗り越えたいと本気で思うなら、公の、評価を、きちんと下されないと自分自身では超えられない。


たとえ、手厳しい評価であっても、それが友人・知人からのものでは、どうしても、私を思いやっての甘い評価だと思ってしまう。


今回、私は、そりゃ、オーディションを通ることを目指しているけれど、全く初めてのことで、しかも、過去のこのオーディションを見ていないし、バーがどの程度のものか、まったくわからない。


一曲は完成品、あと二曲は対になっているものとはいえ、一体、どの程度のレベルの作品で、どの程度の仕上がりを要求されているのかもわからない。


だから、落ちてもいいと、覚悟は決めている。


だけれど、落ちるなら落ちるにあたり、きちんとした評価をいただきたい。


でなければ、私は、ショパンの壁を越えることができない。

それこそ、二度とショパンが弾けなくなってしまうから。

全く自己中心的なことなのだけれど。



本当は、そんな、自分勝手なショパンの作品に対するトラウマなど棚にあげておき、何かの作品を勉強させてもらうことだけを考えて取り組んだらいいのにね。


でも、自分にとって魅力のある曲と さしてない曲とで・・・という選択肢があるのなら、そりゃ、自分自身が取り組みたい魅力ある曲をレッスンして欲しいに決まってる!!!



人生、もう長くないのだから。