神学「この現実、奇跡、キンモクセイ」 | まあのブログ

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A「神は全知全能だから金星と木星を合体させてキンモクセイを作れる。

データとしてそういうものがあるだけでなく、この現実に作ってもらわないと困る。と言うことで、じゃあ作って」

B「パラレルワールドに作った」

A「そうではなくこの現実に作って俺にも見せて。この現実はこの現実の摂理に則って動いていて、その摂理を外れた世界はこの世界には作れないというかもしれないが、神は全知全能であり、この世界にも奇跡を起こせるはずだ」

B「天国では色々な奇跡を起こしてやるが、この現実世界で奇跡を起こせたのはイエスキリストただ一人であり、イエスはもう死んでいる。

たまに奇跡認定される者もあるが、それはその者の信仰や生き様が神の恩寵と偶然的に合体して、そうなっただけであり、基本この世界を作った後は、楽園追放もあり、もう放置ですよ。この現実という摂理から抜け出すことはできない。だから人々は楽園追放以降、死に続けてきているわけでしょう。

救済というのは死んだ後に天国に行けるということだけです。

さっきあなたが言ったようにデータとしては金星と木星が合体したキンモクセイも持っているし、それが当たり前に起こっている世界も、奇跡として起こしてやる世界も存在するが、この現実ではそれはやらない主義です。もう放置ですね」



仮にこの現実で行った場合どうなるのか?

まず全知全能だから何が何でもできなくてはおかしい。

ただこの現実はこの現実として設定された世界だから、この現実の摂理を超える奇跡が起こった場合は、この現実でない別の世界に行ってしまうことになり、例えばこの現実めがけてキンモクセイを作ったら、できた瞬間別の世界に行ってしまい、別の世界の俺はキンモクセイを認識しているのだが、この俺にはその記憶はないし、経験もできないし、この世界に居残り続けることになる。

これは過去は全て天国に行ってしまうことに少し似ている。刻一刻即身成仏にも似ている。グレゴリウス1世は世界は一瞬一瞬消滅と生成を繰り返していると言っている(ちなみにこれを言っている西洋の思想家はいるだろうと思ったらそれがグレゴリウス1世だった)。


で、そんなことはどうでも良くて、とにかくこの現実で奇跡を俺の目に焼き付けてみせろと。

それがどうにも起ってなくて困っちゃうんですよね。

まぁやっぱりさっきの、この世界の摂理は動かないってやつですかね。


奇跡を起こした瞬間別のゲームになる。ゆえにこのゲームに留まる以上奇跡を経験できない。

奇跡を起こしても別のゲームにならない。ゆえにこのゲームに留まっても奇跡を経験できる。


ちなみにイエスキリストの起こした奇跡は完全に神の奇跡というわけではなかったはずだ。イエスは神でもあるがこの現実世界に真の人間として存在している以上、有限なる存在という枠組の中にある。