東京都西多摩郡から青梅市を結ぶ都道「岩蔵街道」をよく通るようになり、「岩蔵」の名を聴き特別なものを感じつつ、ふと見ると、目前に「岩蔵鉱泉」の石碑が。


実はこの地は、日本武尊が潔斎を行った泉の源泉のある神聖な地。


日本武尊が、東征の折にこの温泉で身を浄め、たたみあげられた大岩の下へ蔵へ鎧一領を納め、その麓に天神地祇を祀って東征の無事を祈願した。
祀られた大岩は、現在は小曽木御嶽神社の奥宮となっているが、この日本武尊の聖蹟が岩蔵街道の名の由来だ。


『新編武蔵風土記稿』には、「温泉 北の方 小名 岩倉にあり、相伝ふ此所は古之一村なりしといへど、さる證しもなし、民戸二十七軒説あり、此の傍らより水流出て、至りて冷水なり、気の病にて悩めるか、或ひは骨を砕き身を打ちたるの類を治すこと、甚だ効験在りと謂へり。風呂場にして湯壺三尺廻りあり」と記録されているし、幕末から明治にかけて現地の農民によって記された『市川家日記』にも、この地が湯治場として利用されていたことが記され、近郊から湯治客が多くやって来て、古来「岩蔵の湯」の名で知られた。

明治5年、漢方医の儘田長松氏により旅館として開業されて以来、明治17年6月、神奈川県からの正式許可を受け(当時はこの地は神奈川県で、現在は東京都)、数軒の旅館による「岩蔵温泉郷」として現在に至る。


湯井は深さ130cm、直径125cmで、湯井の上には湯之権現が祀られている。

アルカリ性単純泉で泉温約12度で、所謂、美人の湯の泉質。


日本武尊東征の、割と重要且つ神聖な地であり、日本人として地元の人々が誇るべき聖域であるというのに、今では誰も顧みる事が無く、残念でならない。

こういった各地の郷土に眠る誇るべき歴史から國體を紐解くという事にも今後着目したいと思っています。

という訳で、今月は日本武尊の聖蹟からの始まり。
7月も宜しくお願い致します。