今般、阿部野神社の中塚宮司様の格別なるご厚意にて、北畠公園内にお祀りされる北畠顕家公墓所内に特別に立ち入らせていただき参拝をさせていただきました。
顕家公の間近に侍らせていただきお参りをさせていただき、顕家公の熱き赤誠の志を強く感じ、感激もひとしおでした。
墓所参拝後は、非公開「顕家会館」内にも特別に立ち入らせていただき、顕家公のご尊像を拝観させていただきました。
ご尊像は、まさに花将軍の再来であり、その威厳と気高さは只ならぬものがございました。...
地元の氏子の方々ですら、墓所内も顕家会館内も入られる事を許されぬところ、今回、私どもの為に格別なお計らいをいただきました事に、感謝の尽きぬ思いでございます。
僅か21歳で散った顕家公は、その短いご生涯の中で、人智を遥かに凌駕する偉大な事蹟を遺されたました。
奥州から都まで約800キロもの道のりを僅か半月で駆け抜けるという想像を超える大返しも敢行。
これは、秀吉の「中国大返し」の2倍という恐るべき速さでした。
また、父の親房公は、最愛の嫡男・顕家の死、何よりの精神の支えであった後醍醐天皇崩御という絶望の淵を乗り越え、かの「神皇正統記」を、都から遥か離れた地・常陸国の小田城にて著し、国家と皇統のあるべき形を後世にしっかりと遺されたのです。
吉野朝の忠臣たちの不撓不屈の生き様は、我々に勇気と激励を与え続けるものに相違ありません。
御世代わりという時代の大きな転換期を迎えんとする今こそ、吉野朝の勤皇の誠の封印を解く時に至ったと確信しています。




