こんにちは!智学館です!
本日は本題から入りますね。
20年近く前のことと思いますが、あのホリエモンが30kgも痩せて出所しました。
そのときに「服役中は人間関係で身につまされた」と述べたそうです。
どうやら刑務所内にもグループがいくつかあって、グループのトップに対して気を遣うことがあったらしいんです。
そして、次のようにも言いました。
「組織の人間関係は面倒くさい面もあったが、自分は社長しかしたことがなかったので、自分も部下にこういうことをやってしまっていたなと身につまされることも多かった」
40歳になるまで「気を遣った」ことがなかったという経歴はある意味すごいですよね。
すでに子どもたちはおかしな先生や部活の変な先輩なんかと日々接して「気を遣う」ことを知っています。
最近では子どもに気を遣う親が増えていますが、親に対して子どもが気を遣うのもすごく大事だと思います。
大きくなって気を遣えない大人っていうのは、危なかしくて外に出せません。
下からステップアップして社長になる人が多いわけですから、その過程で「気を遣う」必要があるのですが、ホリエモンは社長しかしたことがなかったので、40歳で初めてそれも刑務所の中で気を遣ったことになります。
何が言いたいのかというと、たとえば「気を遣う」ことも含めて人は学ばなければならないことはみんな共通だってことです。
社長しかしたことがなくても、どこかでいつか学ばなければならない。
子どもたちが通う学校や部活は、そういう学ばなければならないことを学ぶ場でもあるんです。
だからすごく大事。
良い成績をとること以上に大事かもしれません。
江戸時代や明治時代の人たちと比べて、技術や科学は目まぐるしく発達したけれど、人間的には現代の私たちとあまり変わらないのではないかと思ったりもします。
それはいつの時代でも、人は自分で生きて身をもって必要最小限のことは学ばないといけないだろうし、それには一定の時間がかかります。
必要最小限のことを学ぶのに人生の一定の時間を使うから、明治や江戸時代と比べても人間自体の進歩はそれほどでもないのかもしれません。
だからこそ、今子どもたちが失敗したり挫折したり悔しい思いをすることが大切なんです。
それは40歳になっても経験できるけれども、歳が上がってから「基本的な体験をする」のはすごく辛いことと思います。
15歳のときなら気軽にスルーする感情も、40歳で初めて感じると重苦しいと思うんです。
最近は全日制の高校ではなく自ら進んで、たとえば通信制高校に行って1日の時間を好きなように使い、取りたい資格の勉強を集中してやって、受験に必要な科目だけを頑張るなんて子どもも見られます。
目的意識が明確な家庭や子どもには、そのほうが実に効率的なことでもあるでしょう。
これからもそういう子どもたちが出てくるでしょうが、資格や勉強で最短の道を行ったとしても「気を遣う」などの人として学ばなければならないことは変わりません。
最短の道って無駄もない代わりに遊びもない。
車でもブレーキに遊びがないとギスギスした運転になるし、遊びが大きすぎるとだらしない。
だからこそ「バランス」が求められます。
得意なものと不得意なもの、好きなものと嫌いなもの、勉強と遊び、仕事と家庭等々。
子どもに関してのバランスで言うと、親は子どもがやりたがらないものや不得意なものを少しでもやらせてバランスを取ってやる必要があります。
やりたがらないものや不得意なものをやらせるには知恵がいります。
子どもより長く生きている親にはその知恵があるはずです。
15分やろう!
1問だけやろう!
簡単なものをやろう!
っていうのは、それらの基礎の知恵のいくつかです。
もしそうした知恵がなかったら、子どもと同じになっちゃいますからね。
あなたの家庭やお子さんにとって学ぶべきことって何でしょうか?
バランスって何と何のバランスでしょうか?
よーく考えてみてくださいね。