彼女の愛車naomi号で最初に連れていってもらったのはここ。島の人たちに
とっては氏神様のような場所でしょうか。「ちんべーどんちぃ」(君南風殿内と
書きます)。調べてみると、琉球王朝のころには、どの島にも祭祀を専門とす
るノロ=神人と呼ばれる人々がいたそうです。ここはその祭祀場でもあるよ
うです。「ちんべさん」とフレンドリーに言ってたなあ。「はじめましてお世話に
なります」ペコリ。
午後の日差しがまぶしい。

 

 

 

風をきって、さとうきび畑の中を進む。「久米島」と「米」の字がつくように昔
はお米がよく採れて、沖縄戦の被害の大きかった沖縄本島に久米島から
お米などの援助を差し出していたそうだ。豊かであれば当たりまえに与え
る。その後
サトウキビ栽培に国から補助が降りるようになると、稲作か
らサトウキビ栽培に転じる農家が増えて水田はめっきり減ったそうだ。

「ほんとに与える島」なんだと思うって彼女はポツリと言う。
  二年前、久米島に来たキッカケは福島原発事故被災地の子供たち
の保養施設での活動を支援するため。その過程で島の人たちの暖か
さに触れ、活動を離れてからも何か恩返しをしたい。感謝を返したい。
そんな思いで島に残られたそうだ。。

 


 

もちろん「しまんちゅ」にはなれるわけは無いが、そのスタンスを保ち
ながら深く根を下ろそうとしている。島の奥深さに魅せられている。
そうだよね。ホームとアウェイもちろん「ヤマトンチュ」(本土)と「ウチ
ナンチュ」(島の出身)。。。「違い」に焦点をあてればいくらでも「分離」
をみることは出来るけど、どんな人にとっても
真のホームは「土地」と
ての故郷や文化や血族などの形の世界をこえた先なんだろう
「ひとつなるハート」なんだよね。私も色んな土地に住んだけど、私自
身が愛・ハートであれば、私がホームそのものだと思うから。。そこへ
辿る旅を誰もがみんなその人のペースと方法で歩んでいるんだな。。

 

 

 

 
次に向かったのは島の西側にある「五枝の松」。樹齢は250年ぐらい。
まるで地面を這うように枝を伸ばしています。外から眺めると壮観。台
風のとき。本土では考えられないような風が吹くといいます。その風に
もめげずに今日まで保存され続けてきたのですね。枝の内側にも入れ
るのですが、そこはもう別世界。外と内。まるで体内にいて枝の先が細
い毛細血管のように縦横に伸びている。。命を生きている。

夜になって誰も見てなかったら、この木は動いたり踊ったりしてますよね
とはnaomiさんの弁。あはは。そうだね。気づけばみんな
静かに瞑想し
てました。
木を感じ木とひとつになる。慈しみを感じました。暖かい胎内
にいるような気持ち。。夏には本土よりも躯体も大きい久米
島蛍が舞う
そうです。どんな光景なんだろう。

 

 


敷地内にたくさん桑の木が生えていました。美味しそうな桑の実。ほら
ほら。ここなんか熟して美味しいよ。
naomiさんが熟れ熟れの実を摘ん
では「ごちそうになります」と口にほおばる。背の低い私は下側の枝
、背が高くて腕の長いnaomiさんは、あっというまにてんこ盛りの桑の
実を私に差し出してくれる。甘酸っぱくて美味しい。だんだん皆が無
言になっていく。指先が真っ赤に染まってく。ちょうど昼ごはんの後だ
から最高のデザート。
彼女は島中の桑の実のありかを知っているよ
うだ。みんなの桑の木・桑の実。。食べたい人はどうぞ。あとは鳥たち
もね。。豊かさを鳥たちと分け合ってお腹がいっぱいになりました。

 

 

 

 

 
naomi号。「楽天」がベースキャンプで使う野球場のそばを通って、マイ
ラさんの待っているお家へ向かいました。
周囲がサトウキビ畑に囲ま
れた赤瓦の屋根の一軒家。広いお庭にはバナナの木なども生えて
いる。わああ。このお家は琉球様式なんだけど、スペインの地球海
沿いのお家みたいで白壁が青い空に良く映える。。玄関らしきもの
が無い。どこからでも入れる。。「外から守る」という作りではなく、
「どこからでもウェルカム」みたいな開かれた作りに感じる。風がど
こからでも通り抜ける。

 

 

  お庭には畑が綺麗に耕してある。この畑があれば一年中、自分が
食べる分の野菜はまかなえるんですと言う。周囲に生えているハーブ
達も、摘んで出荷しようと思えばそれなりに売れるんですが、そこまで
頑張ってお金にしなくてもなんとかやっていけますとnaomiさん。
近所のおばあたちが、野菜や果物、時にはおかずを差し入れてくれた
り、島の人たちの優しさの中で豊かさを感謝して受け取っているんだね。
。お邪魔した
ときも玄関に差し入れがおいてあったものね。
 さてさていよいよマイラさんとご対面です。わんわん。続く。