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父方の祖母に、優しくされた事が、数回ありました。
髪が伸びたので、輪ゴムで二つに結わえて貰った事。
飛び上がるほど、嬉しかったー!
どんな風の吹きまわし、なんて考えなかった。
 
怪我をした時に、ユリ根を油に漬け込んだ物を傷に付けて貰った事。
祖母の手作り傷に効く民間薬らしい。
 
祖母の家の庭?
福島では都会で言う庭は、陣前(じんめー)といいます。
庭は、家の中。そこに四角に掘った室が有りました。
梯子で降りて、ジャガイモとかを取って来ると、よくやったと誉められました。冬の間は、そこに食糧を、保存して置くのです。
 
見るに堪えなかったのでしょう。大きく破けたままの袖で過ごしている私には、代わりの服は有りません。義理の叔母が、有り合わせの生地で、繕ってくれました。
 
学校で、誉められましたが、余りに破れかたが酷かったので、繕った所が目立っていて、恥ずかしかったです。
たて笛も、みんなから遅れて手に入ったので、みんなのように吹けませんでした。
 
たて笛は、多分、先生が、用意してくれた物だったように思います。一年位しか父方の生家には居ませんでしたのに、先生の名前を、しっかりと覚えていますから。
 
しかし、先生が吹けるようになった時に、私だけの発表会を設けてくれて、よく、追いついたと誉めてもらいました。
 
恥ずかしくても、袖を繕って貰った事が、一番嬉しかったです。袖から風が入らない事は、暖かったです。これから、一日一日、寒く成るのですから。
 
お母さんでもないのにと思い、ありがたかったです。
姉との差別に気の毒に思ったのでしょう。私は、父方では血縁者より、その相手の方の情によって生かされてきました。
 
一番っ悔しかった事、それは、父から買って貰った、ポックリの下駄を取り上げられた事でした。
着物など有りませんし、もう私の足には小さかったですが、見ているだけで、美しいですし、父の愛情が感じられ、幸せな気分に成りました。
 
でも、祖母から見れば、私には、無用の長物ですから、私の気持ちなどどうでもよかったのです。
流石に、姉も祖母に抗議してくれましたが、結局、従兄のk子の物になりました。
 
何時までも、その事は、私の心で尾を引くことに成り、祖母は、やっぱり、私の中では鬼婆以外の何物でもありませんでした。