私が最終的に引き取られ、中学の三年間は、母方の実家で育ててもらい
ました。
祖父母と、稼ぎ手の伯父夫婦といとこという家族構成でした。
 
あの頃は、福島の田舎ですから、冬は、叔父が、出稼ぎに行きます。
月の餅つきは、ばっぱちゃん(祖母のことです)に、「若いもんは、お
前と○○子の二人だけだから、二人でつくんだぞ」と言われ、義叔母と
交代で餅をつきました。
 
怖いですよね。人の手をついてしまいそうで。
お正月用ですから、何回もつくんですよ。
で、終了すると、のし餅、丸め餅、あんこ、からみ、きなこ、納豆、思い思いのすきな餅を食べます
 
バッパちゃんに「お前がついいたんだから、うんと食えよ」と言われましたが、い
ざ、食べようとすると、手が震え、箸を満足にもてません。
それでも、お腹はペコペコですので、震える手で、たくさん食べましたよ。
 
何でも家で作るので、手伝いました。
味噌を作る時も、ゆでた大豆を臼でついて味噌玉を作って、しばらく山のように積み上げて放置します。
 
当然、私たちが突きました
餅のように力は要らなかったように記憶しています。
 
学校から帰って来ると、お腹が空いて、後ろの見えない所から、指で掘って、
私が食べておりました。
塩味も何もないのですが、香ばしくて、お腹のすいた私はついつい後を引いて…。
 
結局、ばれて、「お前だなぁ!しょうがないなぁ」って叱られるのですが、体罰などは、ありませんでした。
 
そのかわり、麹と混ぜるときは、手伝います。
一年分の味噌ですから、半端な量ではありません。
要領が悪いから見てるほうが大かったと思います。
 
ばっぱちゃんは、家庭内でのもめごとが大嫌いな人でしたら、人生の中でその三年間が、一番穏やかだった気がします。
 
感謝の言葉しかありませんが、何も、恩返しが出来ないままでしたので、心残りですが、私が笑顔で元気でいることが孝行かなぁ!
なんて、都合よく思っています。