おきらくなひび

おきらくなひび

お気楽主婦の なんでもアリの その名の通りの お気楽日記

生まれてから ずーっと 埼玉県に住んでます。

2人の子供達の おかーさんです音譜

あと、旦那と 元ノラの にゃんこにゃー と 暮らしてますドキドキ

特にテーマはなく、日々の出来事を お気楽に綴ってます。

手作りも たま~にやっていて、お友達にプレゼントプレゼント したりしてますラブラブ


 

 

 

 

 

 

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やっと、気持ちも落ち着いてきたので、ここに記録しておこうと思います。

自分の記録用なので、長いです。

これでも足りないぐらいだけど。


そのニュースを知ったのは、友達からのラインだった。


ちえきち、大丈夫?

千代の富士、天国に行っちゃったね・・・


それを読んだ私は えっ!? って思って、あわててネットニュースを開いた。


そこには


元横綱千代の富士 九重親方 死去


トップに、そう出ていた。


友達からのラインが来た時、頭をよぎったのは 膵臓がん。

千代の富士は、膵臓がんだった。

それは 知っていたけど・・・大丈夫だと思っていた。

根拠はないけど、千代の富士は大丈夫、と。


千代の富士が 死んじゃった


そう旦那に伝えた途端、涙がブワッと出てきた。

多分、頭の中では まだ理解できてはいなかったと思う。

でも、がんだったことは理解してたので、死は 有り得ないことじゃない、と とっさに結び付いたんだと思う。

同じ部屋には かい坊がいて、この先 自分は冷静じゃいられなくなると思い、部屋を飛び出して 寝室に閉じこもった。


最初は、何も考えられず ひたすら泣いた。

あんなに 声をあげて泣いたのは いつ以来だったろう。

千代の富士 死去 という言葉に対して 泣いた。


ふと、考える。


千代の富士が・・・死んだの?

千代の富士が?


泣いてはいるけど、千代の富士の死というものは 全然理解できてなかったと思う。

とにかく、長い長い時間、頭がおかしくなるぐらい、泣いていた。

途中、旦那が来てくれたけど、それすら ありがたいと思えなかった。

何も考えられなかった。



私は 小さい頃、おばあちゃん子だった。

いつも おばあちゃんの側にいた。

だから、物心ついた時には 夕方になると 相撲中継を見ていたし、おばあちゃんが好きな力士を マネして応援していた。

おばあちゃんが好きだったのは、高砂部屋、春日野部屋、佐渡ヶ嶽部屋、九重部屋。

当時の力士で言うと、高見山、富士桜、朝汐、栃赤城、琴風、千代の富士。

他にもいたかもしれないけど、記憶に残っているのは この力士たち。

当時、相撲が 一ヶ月おきであることも、一場所が15日であることも理解出来ないぐらい小さかった私は、夕方は毎日相撲をやっているものだと思ってた。

おばあちゃんに『今はやってないよ』と言われるとガッカリ。

そして、また 場所が始まると おばあちゃんと一緒に 相撲中継を観ていた。

そして、当然のごとく 千代の富士と結婚する!と思ってた。


そんな中での、あの ウルフフィーバー。

あの 千代の富士 初優勝の一番の時は、今でも 記憶に残ってる。

本割で 北の海に敗れて、おばあちゃんと一緒に ガッカリして。

決定戦で 上手出し投げで勝ったんだけど、私には 一瞬 どっちが勝ったのか分からず(千代の富士も手をついてたから)、おばあちゃんが喜んでるのを見て 私も喜んだ。


初優勝後、故郷に帰って 自宅の前で 雪の降る中 お父さんと握手している姿、今でもよーく覚えてる。

ものすごく印象的だったんだろうな。


大きくなるにつれて、それまでのように相撲に熱中することは 少なくなったけど、千代の富士の結果だけは ちゃんと確認していた。

中学になると、千代の富士の取組を 毎日ビデオに録画した。

部活から帰って、ドキドキしながら録画していた取組を観る。

勝つとホッとし、負けると 悔しくて悲しくて 泣いていた。

そんな私を見てた お父さんとお母さんは、負けた時は 私に言葉をかけられなかった、と 後日言ってた。

この頃は、小さい時とは違う感情で 千代の富士を応援していた。


国技館にも 何度も足を運んだ。

知り合いに 相撲が好きな人がいなかったので、相撲雑誌の文通コーナーで 相撲好きな人と文通をし(当時は 雑誌に住所をまるまる載せてたことを考えると、平和な世の中だったよね)、当時 私より10歳ぐらい上の 都内に住むお姉さんが チケットをとってくれて、国技館で待ち合わせをして 一緒に観戦した。

2階席の安いチケットを取り、放送席前で立って観るのが 恒例だった。

初めて 本物の千代の富士を見た時は、感動して泣いたなぁ・・・。

優勝した時は、優勝パレードだけを観に行ったり。


高校の時は、隣の市に相撲巡業が来るというので、当時 皆勤賞だったにも関わらず 学校を休んで 巡業に行った。

その時、土俵入りが終わった後の千代の富士の体に 初めて触った。

左の肩のあたり。

土俵入りから戻ってくる千代の富士が 歩いてくるのを ドキドキしながら待っていて、触っていいものか 最後まで迷ったけど(神様のような存在だったので)、もうこんなチャンスはないかもしれない!と思って、勇気を出して 触れた。

今思うと、あの時 勇気を出して 良かった。


そして、とうとう その日が来た。

忘れもしない、5月14日。

お風呂に入ってる時、居間のテレビの音が聞こえてきた。


さきほど、千代の富士引退のニュースをお伝えしましたが・・・


この言葉で、理解した。

この場所、初日に貴花田に負けた千代の富士、2日目は勝ったけど、この日は 貴闘力に負けて 1勝2敗。

でも、きっと大丈夫・・・と言い聞かせていた所だったけど・・・理解した。

その場で涙があふれ、お風呂から出たら 部屋に逃げ込んで 泣いたなぁ・・・。

あの時も、今回と同じように 泣いて泣いて 泣きまくった。


この時は この時で、本当に悲しかった。

ずっと 応援していた千代の富士の相撲が もう 明日から観られない。

突然すぎる。

でも・・・

毎日 負けるんじゃないか、と ハラハラドキドキ 心臓に悪かった日々を もう送らなくていいんだ、という 安堵感があったのも 確か。

これからは 平穏な気持ちで 相撲を観られるんだ・・・。


翌年行われた、千代の富士の断髪式。

後援会に入っていたり、ツテがないと行けないと言われていた この断髪式に、なんと 行けることになった。

当時文通していた 大阪の子が、チケットを2枚入手できたから 一緒にどうか、と連絡してくれた。


国技館で、千代の富士の大銀杏が 切り落とされる瞬間を この目で見た。

涙が止まらなかったけど・・・この場にいられることを ありがたく思った。

ここで、本当に 横綱・千代の富士と サヨナラだった。


陣幕親方になった千代の富士は、その後 九重親方になって 部屋を継承する。

一代年寄 『千代の富士』 を辞退して 九重部屋を継ぐ、という考えは、千代の富士らしいなぁ・・・と思った。

本音を言うと、千代の富士親方、千代の富士部屋 を見たかった、という気持ちもあったけど。


千代の富士が引退してからは、私は 相撲は 結果を見る位になった。

若貴フィーバーも 全く興味はなかった。

ただ、時々 バラエティ番組に出る 千代の富士は チェックし、録画して観るのが楽しみだった。


千代の富士には、あまり良くない噂もあった。

そのことについて 悩んだこともあったけど・・・

最終的に、私が 千代の富士を好きなことには変わりない、ということを 再認識した。


去年は 還暦土俵入り。

もう 千代の富士も 60歳なんだぁ・・・と 感慨無量だった。


あれから まだ一年なのに・・・。



訃報を知ったのは、日曜日の夜。

こんなんじゃ 明日 仕事に行けるだろうか・・・と考えた。

こんなこと(ではないけど)で 仕事を休むなんて・・・とも考えるし、でも 私にとっては 大きすぎる出来事だから・・・とも考える。

本当は休みたい。

仕事なんて やってられる状況じゃない。

でも・・・。


翌日は、目が腫れていた。

でも、これ位なら大丈夫。仕事に行こう。

でも・・・

朝のテレビで 千代の富士のニュースが流れると、見ないようにしていても 涙が止まらない。

ゆき坊に『大丈夫?』と心配される始末。

必死で 目を乾かして、家を出る時間に 鏡を見て 『大丈夫!』と自分に言い聞かせる。

仕事をしている間は、忘れていられた。

でも、ふとした時、思う。


あれ?千代の富士って 引退したんだっけ?

だからこんなに悲しいんだっけ?


で、すぐ理解する。

あぁ、引退したんじゃなくて、死んでしまったんだ、と。

あの時と同じように悲しいけど、あの時以上に 辛いことなんだ、と。


千代の富士が引退した時は、本当に 悲しかった。

でも、千代の富士は そこにいた。生きていた。

横綱としての千代の富士は もう見ることは出来ないけど、それは悲しいことだけど、でも 千代の富士本人は 生きていてくれた。

今思うと、それだけで 幸せだったんだ。

いなくなってしまうなんて。

もう、見られないなんて。


『千代の富士 死去』という活字が 理解できない。

そこから 考え込む。

えーと・・・千代の富士というのは、あの千代の富士。死去というのは、死んでしまったこと。

千代の富士は 死んでしまった・・・ということ。

一つ一つ 頭の中で 噛みしめていかないと この言葉が 飲み込めない。

少し考え込んで、理解できたということにして、次の作業に進む・・・という感じだった。

 

あの時は、ちょっと 頭が うまく動いてなかったかも。

ショックなことが起きると、こんなふうになるんだなぁ。

お父さんの時も、こうだったっけ?

もう 18年も前のこと。細かい心情は覚えてないけど、きっと こんな感じだったんだろうな。

比べられないことだけど・・・。


そんな、ちょっと頭が回らない数日間を過ごした。

そんな中、私には どうしても やりたいことがあった。


九重部屋に行って、献花をする


10月1日に お別れ会を開催すると聞いたけど、それじゃなくて。

まだ 千代の富士の体が そこにあるうちに、行きたい。

今までの たくさんの感謝を、近くに行って 伝えたい。


それは、その週の木曜日に 叶った。


その日は 子供達と 渋谷に行く用事があった。

本当は 金曜日に一人で行こうと思ったんだけど、ゆき坊に聞いてみると『いいよ』と即答してくれた。

渋谷で用事を済ませた後、ゆき坊とかい坊も 九重部屋に 付き合ってくれた。

暑い中、たくさん歩いて。

途中でお花やさんに寄って お花を買って。

ゆき坊のスマホでの地図を頼りに 九重部屋に向かう。

近付くにつれて、私の心臓は ドキドキして・・・

とうとう、献花台が見えた時には、もう ダメだった。


ああ。

本当だったんだ。

本当に 死んでしまったんだ。

あれは あの 千代の富士の献花台なんだ。


理解してたつもりだった。

だけど、実際に この目で見るまでは 心のどこかで 信じていなかったのかもしれない。


買ったお花を献花台に置き、記帳する。

そして、あらためて 九重部屋を見て、上階を見上げる。


この建物の中で、千代の富士が 眠ってるんだ・・・。


涙が止まらない私の背中を、ゆき坊がさすってくれた。

人前で 声をあげてなくなんて・・・ね。

本当にごめん。すぐ泣き止むから。

もうちょっとだけ・・・。


千代の富士、ありがとう。

本当に 本当に 大好きでした。

ううん、大好きという言葉では 片付けられない。

もっと 違う、大きな大きな存在。

私の一部だったのかも。

だって、物心ついた頃から 自分の中に 確かな存在として いたんだから・・・。


後日発売された、千代の富士 追悼号 をパラッと見た時、ある写真を目にした。

2人の 男の人が写ってる写真。


あれ? どっちも千代の富士じゃないな。

どっちも、千代の富士と親しい人達かな?


パッと見、そう思った。

その写真のコメントを読んでみると、今年の6月、何かのパーティーで 天龍源一郎さんと撮った写真らしかった。


・・・え?

もしかして・・・?


そう思って、もう一度 その写真を見る。

そこに写っていた2人のうちの1人は、千代の富士だった。

私の中にあった 千代の富士とは、全く違う人になっていた。

ビックリして、ショックで、それから その本は まだ見られていない。


やはり・・・そうだよね。

がんだもの。

闘病してたんだもの。

痩せるのは 当たり前だよね。

亡くなる 一ヶ月半前。

そうだよね・・・。


九重部屋に献花に行ったこと、この写真を見たことで、私の中で 千代の富士の死というものが リアルになった。

最初の頃と比べたら 随分落ち着いたし、千代の富士の死というものを 受け入れられていると思う。


オリンピックに沸いている、今。

私も 応援してるけど・・・


千代の富士の 告別式、もう少し テレビで流して欲しかったな・・・


というのが 本音。


そして、ここにきて SMAP解散というニュースが入ってきた。

SMAPファンではないけど、ビックリ。

ファンの心境は 計り知れないけど・・・

ふと、思った。

千代の富士が引退した時の、あの時の私の気持ちと 少しだけ似てるのかな、と。

SMAPファンの人からしたら 『全然違う』 と言われるかもしれないけど。

もう二度と 見られなくなる・・・という 悲しさ。


でもね。

生きてくれてる。

あの時の私には 分からなかったけど、引退が ものすごく辛く悲しかったけど、今になると思える。

生きていてくれるだけで 幸せなんだ、と。

生きていてくれれば、この先 違う形になっちゃうけど、また 会える。

その幸せは、多分 後にならないと分からないと思う。

あの時の私みたいに。


生きていてくれるだけで幸せ。


そして、今の私は、千代の富士と同じ時代に生きられたことを 幸せに思わなくちゃ、ね。


まだ、訃報を録画した番組は 一つも見れないけど・・・

翌日にコンビニで買った新聞は 一つも読めないけど・・・

本当に 千代の富士の死を 自分の中で 消化できてるのかは 分からないけど・・・


今は 落ち着いて 毎日を過ごせてる。

お父さんが亡くなった時、もう二度と立ち直れないんじゃないかと思った。

こんなに辛いこと、乗り越えられるわけがない、と。

それでも、今は 普通に生活出来ている。


時間って、本当にありがたいものだと思う。



ありがとう、千代の富士。

さようならは、言いません。

だって、この先も ずっとずっと 今までと変わらず 私の中にいるんだから。
















子供の頃買った、相撲の本。



右は 昭和55年度版だって。

懐かしい顔がいっぱい載ってます。

明日は 雨の予報。

桜、散らずにもってくれるでしょうか。


金曜日は、ゆき坊の 高校の入学式です。

ゆき坊も、いよいよ JK になります。

JKだ~と喜んでおります。

見た目は ちっちゃくて、中学生・・・いや、小学生でもいけそうだけど。

でも、JKです。

無事に 希望の高校に合格し、ただ今 春休みを満喫しております(もうすぐ終わっちゃうけどね)


このたび 受験生の親というのを初めて経験しましたが、やっぱり 気を使うね あせる

特に 今年に入ってからは、インフルエンザとか うつる病気に すご~く気を付けてました。

去年から インフルエンザの予防接種はしないことにしたので (打つとかかる、打たないとかからないから)、その代わり、乳酸菌シロタ株が何億個(?)も入っていて免疫力がつくという ヤクルトを 毎日 家族全員飲んだり、手洗い・うがい、加湿には 超~気を使いました。

おかげさまで、今年も インフルや他の病気にならずに この冬を越せ、入試も無事に受けられました。


ゆき坊が希望していた高校は、ゆき坊の学力からすると 少し下だったので、正直なところ 落ちるということは ないだろうなぁ~と思ってはいたものの、やはり 結果が出るまでは ドキドキ ハラハラでしたね。

発表当日、ゆき坊の受験番号を見つけた時は (目が良すぎて、結構遠くから確認できてしまった) 本当に 嬉しかった ドキドキ


中学生活、実は いろんなことがありました。

大変だったこと、悩んだこと、いっぱいあった。

もちろん 楽しいことも いっぱいあったけど、思い出すのは 大変だったことばかりで 汗

でも、それを乗り越えられたからこそ 今があるんだよね。


2年と3年で 担任の先生は同じだったんだけど、本当に本当に お世話になりました。

感謝 ビックリマーク

そして、小学校から中学校まで 9年間一緒だった、みんな。

ゆき坊に 関わった子も 関わってない子も、今まで ありがとう きらきら!!


ゆき坊にとって、楽しい楽しい 高校生活になるといいなぁと思います にこ



次に 私ですが・・・


去年の12月の初旬、出勤途中で追突事故に遭いました。

頸椎捻挫です。

実は 追突事故に遭うのは二回目です。

前回は、平成19年なので・・・もう 9年前なのね。


去年の夏頃、指を曲げる際に 関節に痛みを感じるようになって、なかなか治らず 悪化している感じだったので、思い切って 整形外科に行ってみました。

そしたら、その名医、ちょっと診ただけで これ、首から来てるね と。


えっ?

指ですよ?


その後、レントゲンを撮ってみると、よく分かんないけど(説明してくれたけどね) やっぱり首から来てたらしく。

9年前の事故の後遺症でした。

確かに、あの事故は 治らないまま 症状固定で 保険切られちゃったから、その後 医者通いはしていませんでした。


頸椎捻挫(ムチウチ)は 軽く見られがちだけど、一生ものです。気を付けてくださいね。


話はそれたけど、そんなわけで 9年前の事故の後遺症で 整形外科に通ってた最中での、追突事故。

あらら~・・・。


この追突事故に関しては、加害者に対して ちょっと はぁ!? と思うことがありましたが、それを書くと大変長くなりそうなので、機会があったら 別に書こうと思います。

・・・自信ないけどあせる

でも、記録して残しておきたい気持ちもあるので。


で、そんなこんなで その日は仕事休んだんだけど、翌日仕事に行き、辞めることになりました。

事故が原因じゃないですよ。

積もりに積もっていた 数々の不満が 爆発してしまったのです。

これも、ここに書いてしまうと 絶対アップできなくなるので(書き終わらない)、機会があったら。

てか、これは ホントに記録として残しておきたい。

とんでもない バカなオーナーの話。

ほんと、従業員を物としか思ってない、自己中とは この人のためにある言葉だと言っても過言ではない、そんなオーナーなのです。


職場は 雰囲気がすごく良くて、仕事内容自体は好きだったし やりがいもあった。

だから、これまで オーナーにどんなに理不尽なことをされても 続けてきた。

何度も 辞めてやるビックリマーク って思ったけど、職員さんと話してると 忘れちゃうんだよね。

そんな感じで ズルズルと続けてたけど、さすがに 限界が来てしまいました。

私、2年半しか勤めてないのに、私より長く勤めてる人 3人だけだからね。

従業員 15人ぐらいのデイサービスなんだけど、去年は 13人、おととしは 12人 辞めてるから。

今年に入ったら、もう既に 8人ぐらい辞めてるって聞いたし。

職員がコロコロ入れ替わる会社は 良くないっていうけど、その典型的な例ですね。

既に辞めた人からは (あのオーナーのもと)よく頑張ったね って言われちゃった。

ほんと、職員さんは みんないい人ばっかりだった。

だから、辞めるのは ちょっと淋しかった。

最後の日は、角を曲がるまて お見送りしてもらいました。

ほんと、オーナーさえいなければ ずっと勤めたい職場だった。


残念!!


でも、いろんな無理なことに 手を出して 破滅への道を進んでいるので(本人だけ気付いてない) 会社自体 長くはないと思います。

マイナンバーを知られる前に辞められたので、ヨカッタかも。


それからは ムチウチの医者通いや ゆき坊の受験もあったので、3ヶ月ぐらい のんびりしてました。

そして、先月下旬から 新しい職場で 仕事を始めました。

前回は、老人デイサービスの事務。

今回は 障害者福祉事業所の事務。

以前、社会福祉協議会に勤めてたことがあったんだけど、知らぬうちに福祉関係を選んでいるのかしら!?

しかし、新しいことを覚えるのは やっぱり大変ねあせる

特に 人の顏と名前を覚えるのが とっても苦手なので、まずそこで苦労した 叫びあせる

私も 心機一転 頑張ります グッド!

・・・私のことは こんなもんで。



残る かい坊は・・・


あっ、前回 生徒会に立候補するとか書きましたが、なんと 本当に立候補し、生徒会に入ってしまいました。

思ったより大変みたいで、最初の頃は 弱音吐いてた。

まぁ、自分が決めたことだからね。

あと半年、頑張れ~!!

やり遂げたら、きっと いろんなことが プラスになってるはずだから にこ


バスケ部も、1年生ながら 試合に出してもらったり、頑張ってます。

ほんと、バスケ好きみたいなんだよね。

熱中できることに出会えて 良かったね アップ

空手も 週2ペースで 通ってます。

勉強、部活、生徒会、空手と 大変ながらも それぞれ頑張ってる。

ゆき坊は なんだかんだで 器用にこなせる子だったけど、かい坊は 不器用な子。

それでも それぞれ頑張って そこそこ いい成績をおさめてます。

勉強は、学年で一ケタの順位をとってビックリ 目

タイプは違うけど、やっぱり姉弟だね。


1年の時は いい先生にあたったけど、2年生では どうだろうか。

クラスメイトとともに 気になる所です。



ゆき坊も かい坊も、春からの新しい生活、楽しい毎日が送れますように にこ

大変ご無沙汰してます。

みんな 元気です(^^)



東日本大震災から、今日で 5年。


5年前も、今日と同じ、金曜日。


あの日、私は 次の日に行く予定の スキーの準備をして、ガソリン満タンに入れました。

ガソリンスタンドのおじちゃんに 『どこに滑りに行くの?』 って聞かれて『長野です』と答えると

『私、長野出身だよ』 なんて話をしたのを、なぜか すごくよく覚えてる。


あれから、5年。



あの地震の揺れの恐怖は、今でも忘れられません。


『地球が終わる』


ホントに そう思ったから。



でも、私の恐怖なんかより もっともっと怖くて もっともっと辛い思いをした人がいっぱいいる。



今日は、中学校で 3年生を送る会があった。

最後に 教頭先生の話があった。


今日は 3月11日。

5年前の今日、東北で 翌日に 卒業式を控えていた学校もあった。

あの地震で たくさんの人が 亡くなってしまったけど、私達は 生きている。

生きている私達が 精一杯 生きていくことが、亡くなった人への供養になるはずだ、と。


・・・そうだよね。

卒業式の頃だよね。

うちの方は、計画停電で 真っ暗の中 卒業式をやったらしいけど、卒業式を目前にしていながら

出来なかった学校も いっぱいあったんだ。


今年、中学卒業を控える子供を持つ身として、その話は すごく重くて・・・


全員で 黙祷している時、涙が出てきた。


こうやって、日々を生きていられることは 本当に ありがたいことなんだ、と。

生きていることって、当たり前じゃなくて 奇跡なんだ、と。


時々、自分に言い聞かせないといけないなって 思いました。


長い長いと思っていた夏休みも あっという間に終わり、もう9月も中旬ですね。

いつも御無沙汰いたしております ♥akn♥


今年の夏休みは、ゆき坊が受験生であることと、かい坊の部活が始まったことと、私が仕事を もう一つ始めたことにより、その日 1日のスケジュールを把握することで精一杯で、 明日のことは考えられない! ・・・という毎日でした。


ゆき坊は、これまで 塾には行かない! って宣言してたのに、突然 夏期講習に行く! となり そのまま塾を続ける! ということになりました。


・・・どうした?


私が心配してたのは、塾に行くことによって 勉強した気になってしまい、自主学習が疎かになってしまうこと。

それはダメだよ、という条件のもと、夏期講習に行くことになったのだけど。


夏休みの最初の頃は やはり 自主学習を全然しなくて、私のイライラはつのるばかりでした。

しかし、夏休み後半になると さすがに焦りが出たらしく、一生懸命勉強してました。


8月中旬に 漢字検定。

夏休み明け 一週間後に 北辰テスト。

夏休み明け 二週間後に 期末テスト。


そうなんだよ。

本当は 夏休みの最初から 頑張らなきゃいけなかったんだよ。


公立の志望校は ほぼ決まったようなんだけど、滑り止めの私立が、これって所がなくて。

万が一落ちてしまったら (家計のためにも そんなことはないことを祈るけど) 行くことになるので、私立も ちゃんと選ばないとね。

私みたいに、みんなが受けるから そこでいーや、的な考えは ゆき坊には してほしくないと思います。


さて、かい坊の方は、日々 部活を頑張ってます。

スラムダンクという漫画の影響で、という不純な動機だったけど、今では本当にバスケが好きみたい。

暑い日も、ものすごく暑い日も、頑張って部活行ってました (当たり前だけど)


そうそう、かい坊、6月に足を骨折したのです。

みんなには 部活で? と よく聞かれたのですが・・・


部活前に 友達と追いかけっこをしてて、木の根っこを踏んで グキッとなってしまった、とのことです。

この理由を 聞かれるたびに話してたんだけど、みんながみんな かい坊らしいね と言ってくる所が、まぁ かい坊なんだな、と納得してしまう次第です。

毎日 学校まで送り迎え、医者まで送り迎え、本当に 面倒くさい 大変な日々でした。


もし次に骨折するとしたら、ぜひ 手にしてください。

左手で お願いします。


この夏休みは お盆休みにキャンプに行った位で、他に思い出がないことに気付いた。

プールにも行かなかったし。

家族カラオケも 一回しか行かなかったし。

それぞれが それぞれのペースで 日々を過ごしていた。


子供が大きくなると、やはり 一緒に行動することが 減ってしまうのね。

ちょっと淋しいけど、それが正常な姿なんだろうなぁ。


さて、夏休みが明けて、今日で期末テストも終わりました。

なんつっても かい坊が勉強をしない子で、前回の中間テストの時もそうだったけど 今回も やる気スイッチを探すのが大変でした(結局見つからず)

そんな かい坊が、なんと 生徒会に立候補するとか言い出した。


えっ?

なんで?


と、私をはじめ 会う人会う人に ビックリされたそう。


そりゃそうだ。

やる気スイッチを探されてるような子だもん。

ビックリもされますよ。


ゆき坊もかい坊も、代表とか人前で何かをやるのは好きなのです。

でも、ゆき坊は器用で とりあえずこなしてしまう子だけど、かい坊は・・・汗


てか、落選した時 なんて慰めたらいいだろうか。

大好物のラーメンでも 食べに連れてけば大丈夫かな。



とりあえず、今は 期末テストの結果を待つことにいたしましょう。


早いものですね。

今年も 半分近くきてしまいました。

ついこの間まで 寒い寒い言ってたのに、もう 毎日が暑いという・・・あせる


かい坊が 中学に入学して、早いもので 2か月が経とうとしてます。

ゆき坊が 受験生となって  以下同文。


かい坊は、予定通りというか、バスケ部に入部しました。

去年の夏あたりに、私が所有していた スラムダンク という漫画にハマり、そこからは 毎日 友達とバスケ三昧。

どんどん友達を巻き込んで、バスケ部は かい坊軍団で染まりました ぷぷ


でもね、やっぱり 部活でバスケってのは 大変だよね。

ずっと走ってるスポーツだし。

スラムダンクのように、スラムダーンク! とかやれるわけじゃないし。


現実は・・・毎日ヘトヘトです 汗


でもさ、今の部活って、最初から ボールを触らせてもらえるのね。

先日、部活保護者会に行って 部活見学もしてきたんだけど、一年生も 3対3 とか 4対4 とか やってるの。

私のイメージだと、一年生って 準備と後片付け、球ひろい、声出し、そんなもんで終わってたような気がするんだけどはてなマーク

思わず いいなぁ~、今の子は なんて思いながら 見てしまいました。


・・・一年生って 言い方悪いけど、昔は 奴隷のような扱いだったよね あせる


ど素人なのに、練習試合に出してもらったり。

キソも出来てないのに、試合とか出ちゃっていいの!?と思ったりもしたけど。


去年までの先生は、そんなにやる気のある先生ではなく、今のバスケ部は ハッキリ言って弱小です。

でも、今年から顧問になった先生は、バスケ経験者。

若い、女の先生。

なので、少しは期待してるんだけど・・・どうでしょうかねあせる


ただ、体力作りのために いっぱい走らせてくれるのは 大変いいことだと思っております にこ


そして、空手も なんとか続けてます。

さすがに 部活の後の空手はキツイようなので、空手のない平日と 土日どちらかの 週2回 行ってます。

習字も続けてたんだけど、さすがに時間がとれなくなってしまい、5月いっぱいで やめました。

毛筆は三段、硬筆は特選まで行きました。

・・・あ、あの字で!? と思わなくもないのですが・・・あはは・・・


ちなみに、ゆき坊も 空手と習字 続けてます。

腰を悪くしてしまったので、空手はマイペースで。

習字は、硬筆は特待生までいってるんだけど、毛筆が 準特待生から なかなか進まずあせる

習字は 高校になっても続けると言ってるんだけど・・・一体何を目指しているのか!?


そうそう、ゆき坊は受験生ですが、今のところ まっっっったくそんな感じがいたしません。

ガツガツ勉強することもなく。

毎日 のほほーんと過ごしてます。

塾も行ってないし。

こんなんで 無事に高校生になれるんでしょうかね 汗


ゆき坊には ママって 他の親みたいに 勉強しろって言わないよね と言われます。

・・・おかしい。

自分では 言ってるつもりなんだけど。

もしかして、伝わっていないのかはてなマーク

それとも、ヨソのおうちでは、もっと激しく言っているのかはてなマーク


まぁ 私自身、いい高校に行く ということに あまり価値を置いていないのです。

頑張って レベルが上の高校に行っても、勉強 ついてくの大変でしょあせる

いや、そこで更に頑張れる子もいる。

でも、私は そんなに頑張る必要もないのでは、と 考えてしまうのです。

高校は ノンビリ楽しく過ごそうよビックリマーク その後のことは その後考えればいいよビックリマーク ってね。

もちろん 本人が いい高校に行きたい、と言うなら 塾だって行かせるし、勉強しろ、とも言います。

でも、ゆき坊は 私の子なんでね、今現在 私のこの意見に 大賛成。

・・・いいのか悪いのか・・・ ぷぷ


先生には、もっと上の高校狙えるのに、もったいない、と言ってもらってます。

後期は 学級委員長になるように、とも言われてます。

ありがたいことです。


でも、それをどうするかは 全部 ゆき坊にお任せです。

学級委員になると 内申上がるけど、今の所 ゆき坊は 学級委員は もうやりたくない、と申してます。

先生、ゴメンナサイあせる


そんなこんなで、ゆき坊は 受験生とは思えない受験生生活を送っております にこ



さて、こんな中学生の二人ですが、先日 早くも体育祭がありました。

ゆき坊は 上にもちょっと書いたように 腰が悪いので、あまり競技に参加できず。

でもね、小学校の時の 大好きな先生が 体育祭を見に来てくれたの。


ゆき坊には、5年生の時の担任の先生と 6年生の時の担任の先生の、2人の恩師がいます。

5年生の時の先生は、まだ同じ小学校にいるので、時々会うこともあります。

メアド知ってるから、メールで勉強聞いたりね sao☆

6年生の時の先生は、女の先生なんだけど、ゆき坊が卒業すると同時に 結婚して 千葉に行ってしまいました。

多分、卒業してからずっと 会ってません。


5年生の時の先生は、毎年 中学の体育祭を見に来てくれて、今年も数名の先生と一緒に 見に来てくれてました。

そんな中・・・発見!!

6年生の時の 担任の先生、発見!!

ビックリしちゃった!!

聞いてみたら、今年は ゆき坊が最後の体育祭ということで、わざわざ千葉から 応援に来てくれたらしい。

しかも、生まれて6ヶ月の かわい~い赤ちゃんを連れてラブラブ


ゆき坊、本当に この先生になついてました。

若い女の先生だから、もし 近くにいてくれたら 思春期のゆき坊の よき相談相手になってくれたんだろうなぁって思う。

それが 本当に残念。

5年生の時の先生も すっごいいい先生なんだけど、男の先生だからね~。

また ちょっと違うんだよね。


そんなわけで、2人の大好きな先生に挟まれて 写真を一枚。

大事な大事な ワンショットになりました にこ


さて、かい坊の体育祭ですが・・・


かい坊の出場種目は、100メートルと400メートルリレー。

100メートルは、3位でした。

なんと 400メートルリレーでは、学校の中1男子の新記録を出してしまいましたアップ

いや、かい坊の活躍ではなく、メンバーに恵まれたおかげですがにこ

少なくとも 1年間、名前が残る。


・・・嬉しい・・・きゃー



そして、今日は 中間テストです。

ゆき坊にとっては、受験にあたり 大切なテスト。

かい坊にとっては、初めての定期テスト。


かい坊、昨夜になって あっ! 英語、1月から12月も テストに出るんだった! だとさDASH!

1から10も、曜日も、昨夜慌てて覚えてたしDASH!


・・・もう、不安しかありません・・・汗


かい坊には 勉強しろビックリマーク って言わないと ダメそうだあせるあせるあせる