みなさま、こんばんは(^_-)-☆ 桂木里紗です。

 

きょうは、お友達のHちゃんとお話していたら、

また東宝時代の懐かしいお話をして、大笑いの展開になりました。

 

資料室のいちばん偉い方に、私、すごくお世話になって、

東宝の広報室に戻れたのも、その方のおかげだと思っています。

まさに恩人ですね。

 

あだ名は「ぶらさん」と言います(^^) ぶらさんは社内ではすごく変り者、という評判でしたが、

上司としては、すごく優しくて、穏やかで、得も言われぬユーモアの持ち主でした。

 

資料室には、1年在籍していましたが、私が劇評を「演劇界」に書くことにOKを出してくださいました。

それから、病気の薬の副作用でアカシジアという、大変厄介な症状があるのですが、

それがあると、私は大パニックを起してしまうので、ぶらさんは、「じゃ、ちょっとお茶を飲みに行こう」と言って、

私を連れだして、銀座の美味しい珈琲店に連れて行ってくださいました。

そして、東宝の懐かしい方々のお話を聞いたり、私の劇評のことを話したりして、

ちょっとリラックスした私を見て、「うん、落ち着いたね。じゃ、戻ろう」と言って、コーヒーをご馳走してくださいました。

 

もう一人のオジサマもいて、Iさんという方ですが、こちらもすごく優しい紳士で、七か国語話せるという、ビックリするほど秀才の方で、3人で仲良くいつもおしゃべりを楽しんでいて、なんだか私、「マイフェアレディ」みたいな気分になっていました。

 

いま早稲田大学の教授になられた児玉竜一さんも、よく資料室に来て、様々な資料をご覧になってくださいました。

私が、児玉竜一さんのことを、ぶらさんにお話したら、「有名な劇評家さんなのだね。では、あとで請求していいから、二人でお茶をして、失礼のないようにしてお話してらっしゃい(^^)/」と送り出してくださったこともありました。

「せっかく、桂木さんは東宝にいらっしゃるのですから、菊田一夫先生のことを、調べてみてはいかがですか(^_-)-☆ それに、東宝の資料室には、古い義太夫の本がたくさんあるので、それを調べてみるというのはどうでしょう」と勧めてくださいました。わたしは緊張のあまり、児玉さんとお話するのは、ドキドキしたのですが、児玉さんが本当に歌舞伎だけでなくいろいろなジャンルの演劇にお詳しいのでビックリしてしまいました。すごく思い出に残っています。

 

こんなチャンスをくださったのも、ぶらさんのおかげです。

 

1年後。2003年10月に、東宝の本社の広報室に行くことになって、ぶらさんとIさんと3人で、ランチをしました。(といっても、いつもこの3人でランチしていたんですけどね^^)私がぶらさんと、大笑いしながらしゃべっているのを、同じお店にいた本社の人たちが、クスクス笑ってみていたのです。「え?どうしてみんな笑うのかな?」と思っていたら、「ぶらさんって、すごく厳しいことで有名なんだよ♬ 笑っているのを見た事がなかったけど、チコちゃんがすごくぶらさんと仲良しなんだなぁ・・・と思って、チコちゃん、「宝苑」の編集マンにピッタリだね(^^)/と思ったら、笑ってしまったんだよ(笑)」ですって!

「えーっ、全然優しくて厳しくなかったですよ?」とわたしが言うと、「チコは大物キラーだからなぁ(笑)」と言って、本社の人たちも「宝苑、頑張ってね!」と励ましてくれたので、嬉しくなりました💖

 

ぶらさん、今頃どうしておられるだろうと思います。劇評は諦めてしまったので、申し訳ないのですが、お会いしたいです。Iさんにもお会いしたいです。おかげさまで元気になったことと、御礼を申し上げたいです。