東洋経済の7/26号のもう一つの特集が、人手不足の正体であった。特集では、労働力不足と設備投資不足の実例について書かれている。巷を見れば、有効求人倍率は1倍を超えている(しかし失業率は逆に少し上がった)。これだけ見れば、日本は人手不足で困っているように見える。人手不足による供給力不足なのではないかという疑問も浮かぶだろう。需要不足という話はどこに行ったのかという話にもなろう。
ちょっと歴史を振り返ってみよう。以前も書いたことであるが、食糧自給にも困っていた人類は、農業技術を向上させ、生産性を高め、多くの人間を裂かなくても全ての人間のための食料をまかなえるようになった。より豊かな食事を皆がすると同時に、余った人材は工業などの2次産業に従事するようになった。そして生活がより便利になったわけだが、今度は工業が機械化などで生産性を上げ、また余った人間が出てきた。そしてこれがサービス業に移って現在にいたっている。そしてサービス業も生産性を上げ、人々はより豊かになっていった。
さて日本ではこの20年不況である。見返せば、失策のオンパレードによる人災なのだが、それはともかく十分生産できる能力があるにも関わらず、需要不足のために生産が抑制されてきた。その結果どんなことになるか建築業を例に考えてみよう。需要がなければ余剰の人員が生じる。余剰人員の多い業界では条件がよくなるはずもないので新たに入ってくる人間もない。建築に携わる人間はどんどん減っていったであろう。そこで経済を好転させようとして何らかの政策を打ち、うまいことにその需要が増えていった(正常化が正しいかもしれない)とする。その時起こることは、熟練工の不足で対応できない(もしくは以前の何倍もの人を要する)という事態だろう。新自由主義の前提では、人々は容易に別の職業に従事することができることになっており、人があまっていればすぐ解決する話になっている。しかしこの前提は全く現実的でない。例えば熟練した大工が何か作るのと同じものを素人に作らせたらどのくらい時間かかって、どのくらいのものができるか想像してみればよい。各分野で生産性の高い人間にはそう簡単にはなれない。しかしながら、一旦習得したならば、素人の何倍もの仕事をこなすようになる。現代の社会を支えているのはこの生産性である。現在日本でおこっている人手不足は、まさにこういうことであろう。この20年の後遺症だ。
現在の人手不足の状況をみて、愚かにも少子化による労働人口の減少や、働かない高齢者層の増加を原因と考える人がいる。これも過去の状況を見返せば、そうでないことが理解できる。一人当りの生産性の増大は、人口が減少する割合をはるかに凌駕するものである。増大した生産性は、各人の生活を豊かにする形になったこともあれば、資本家に掠め取られたこともあったが、少なくとも少子化による供給力の減少が生産性の向上を上回ったことはない。
労働人口減少で供給力が足りないと考えている人間は、愚かにも移民を増やすべきなどと主張することがある(他には女性参入の話もある)。だが、これは百害あって一利なしだろう。必要なことは、例えば設備投資の補助など、個々の生産性を十分発揮できるようにする手助けだ。需要不足による供給抑制に慣れた状況を打破していかなくてはならないだろう。20年も馬鹿なことをやってきたのだから、改善に時間が少しかかるのは仕方ない。
ちょっと蛇足。
もちろん、将来今以上の少子化がおこって供給力も足りなくなる事態になる可能性はゼロではない。だから今のうちに移民でもなんでもして増やすべきという意見もあるかもしれない。しかし移民を入れても少子化対策としての効果は、極めて短いものだ。移民ならば現在の日本人よりも多い収入を得られるなんてことはありえない。むしろ、近視眼的な経営者の思惑により、収入は低く抑えられるだろう。現在、若い人間が、結婚できなかったり、子供を作るのを躊躇するのは、それなりの収入を貰っていないからだ。日本に来た外国人は、今の日本の若い世代同様に、子供を作らなくなるだろう。
少子化の対策の本幹は、若い世代の収入を増やすことだ。それは取りすぎの資本収益率を下げ勤労層の取り分を増やすか、取りすぎの資本収益率から取り返して福祉にまわすかだ。それとは真逆の、会社や富裕層を優遇するようなトリクルダウンの政策は、先進国では一つの成功例もない。馬鹿な政策はとっとと止めるべきだ。