ガザのファウジー | ジャーナリスト藤原亮司のブログ

ガザのファウジー

2009年1月の朝、自宅に押し入ったイスラエル軍兵士に、目の前で父親と幼い弟を撃ち殺されたファウジーは当時15歳だった。

彼が暮らしていた家の屋根は半ば崩れ、案内されて奥へ進むと小さな台所の土間の木炭ストーブの上に、炭になったナスが4つ放置されており、床には干からびたアラブコーヒーが入ったコップが置かれていた。兵士がやってきたとき、家族はストーブを囲み朝食を食べようとしていたときだった。

 

ガザ市南部のザイトゥーンはそのとき、イスラエル軍部隊の侵攻ルート上にあった。部隊は進軍の安全確保のため、戦車と装甲車に守られた歩兵が、一軒ずつ家をまわって掃討戦を行なった。

ファウジーが言うには、外から激しくたたかれたドアを開けたとたん、兵士が父親を撃ったという。その流れで何発か撃ったうちの一発が、弟を殺した。母親とファウジーは連行され、別の町まで連れていかれた。「戦闘が終わるまで町に戻るな」と言われて。

 

2014年にガザに行ったとき、20歳になったファウジーと再会した。20歳のいいお兄ちゃんになっていた彼は、首からひもで小さなマグライトをぶら下げて出てきた。「これ、まだ大事に使ってるよ」と、はにかんで笑った。「Japan Press」のステッカーを貼ったマグライトは、2009年に彼にプレゼントしたものだ。

ファウジーは亡くなった父親の畑を受け継ぎ、トマトや葉物野菜を作って暮らしていた。

ファウジーはいま、29歳になっている。去年の始めごろ、彼を知るガザの友人から画像が送られてきた。2歳ぐらい?の女の子を抱いたファウジーがいた、家族を失った彼が父親になったのかと、胸が詰まった。

 

今回のガザ侵攻、ガザ市南部を進軍したイスラエル軍は、ファウジーの家と畑があるザイトゥーンに部隊を進めた。航空写真で見たザイトゥーンは畑は無くなり、土が掘り返され、新しい軍用道路が作られていた。

ファウジーの畑は踏みつぶされた。どうか、彼が手に入れた家族だけでも無事でいてほしい。