戊辰の役・市川船橋戦争を辿りました。( ˘ω˘ ) | 千葉の歴史、名所、旧跡アドバイザー・尼木のブログ

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前回、船橋大神宮周辺で市川船橋戦争の激戦が

繰り広げられたことをご紹介しましたが、市川と

船橋に戦いの痕跡を今に伝える場所があります。( ˘ω˘ )

 

市川市八幡にある東昌寺。八幡は開戦地ですが

この戦いで戦死した、新政府軍兵士の墓所が

あります。(´-ω-`)

伊勢 津藩士  菅 鋿三郎

備前岡山藩士  花房喜三太

備前岡山藩士 信正卯兵衛

開戦当初、旧幕府軍の撒兵隊が優勢で、新政府軍

が苦戦を強いられたのがわかります。(*´ω`*)

 

京成線鬼越駅から電車に乗り、海神で途中下車。

こちらも激戦地となりました。( ˘ω˘ )

江戸時代初期の慶安4年(1651年)には創建され

木像阿弥陀如来立像や市川と行徳の分岐点に

置かれていた古い道標も残る、海神念佛堂。(*'▽')

こちらにも新政府軍兵士の墓所があります。

福岡藩士 小室彌四郎。( ˘ω˘ )

小室彌四郎は、この地で旧幕府軍撒兵隊の指揮官

江原鋳三郎と格闘になり、惨殺されました。(>_<)

隊長の矢野安太夫は、彼の死を悼み、こちらに碑を

建立したそうです。(´-ω-`)

明治になり、千葉県では殉国の死を哀れみ、この地

に墓碑が建立されました。( ˘ω˘ )

隣は従卒3名の墓碑です。

(明治19年・1886年3月建立)

戊辰の役ではあまり知られていない市川船橋戦争。

これからもその痕跡を探索したいと思います。(´-ω-`)

 

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