鏡餅 歴史 ②
和漢三才図会に掲載された御鏡
江戸時代1712年ごろ日本の百科事典として出版された和漢三才図会巻(わかんさんさいずえ)19には、天武天皇4年からの習俗として、「しとき餅」の項に「御鏡是也」と解説された祭餅の図がある。これは、稗(ひえ)や黍餅(きびもち)のことで、稗(きび)団子の類。古人は黍や稗を多用したが、江戸時代には鏡に似せて糯米(もちごめ。餅米)で円形に作るため、俗に御鏡(おかがみ)と呼ばれたとある。
なお、「しとき」の語は日本北部のアイヌにも伝わった。アイヌ文化では、黍や粟の団子を「シト」と呼び、タマサイ(女性用の首飾り)のペンダントヘッドに相当する円い金属の板(円鏡)を「シトキ」と呼ぶ。