鬼門 鬼門の忌避

 


鬼門思想は中国から伝来した考え方であることに間違いはないが、日本の鬼門思想は中国から伝わった思想とは大きく違った思想になっている。なぜなら風水に鬼門思想はなく、日本独自の陰陽道の中で出来上がった日本独特の思想であると考えるべきである。



現代でも、人々は、縁起を担ぎ、家の北東、鬼門の方角に魔よけの意味をもつ、「柊」(ひいらぎ)や「南天」(なんてん)、「万年青」(おもと)を植えたり、鬼門から水回りや玄関を避けて家作りしたりと、根強い鬼門を恐れる思想がある。 



十二支で鬼門(丑寅)とは反対の方角が未申(ひつじさる)であることから、の像を鬼門避けとして祀ったりしたといわれている。代表的な例が、京都御所であるが、京都御所の北東角には軒下に木彫りの猿が鎮座し、鬼門に対抗し(猿ヶ辻。さるがつじ)といわれ、築地塀がその方位だけ凹んでおり、「猿ヶ辻」と称されてきた説がある。



現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる方角には、玄関、便所、風呂、台所などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が全国に強く残っている。また、南西の方位を裏鬼門として、鬼門同様、水まわりや玄関を嫌う風習も根強く残っている。これは、京都御所の築地塀が鬼門、北東方位を凹ませてあることから、御所が鬼門を恐れ避けている、鬼門を除けていると考えられ、それから鬼門を避ける鬼門除けの手法とされてきた。



また、都市計画においては、平城京では鬼門の方向に東大寺が、裏鬼門の方向に植槻八幡宮(うえつきはちまんぐう)が、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が、鎌倉では幕府から鬼門の方向に荏柄天神社(えがらてんじんじゃ)が、裏鬼門の方角に夷堂(えびすどう) が、江戸では江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺(とうえいざん かんえいじ)が、裏鬼門の方向に三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)が置かれたといわれている。