高野神社(津山市高野本郷) 歴史 概史
創建年代は不詳。平安時代前期の貞観6年(864年)に従五位に叙せられたと、初めて文献に登場する。貞観17年(875年)には正五位下に昇進している。
『延喜式神名帳』には「美作国 苫東郡(とまひがしぐん、とまひがしのこおり) 高野神社」の記載があり、当社はその論社とされている。もう一社の論社には高野神社(たかのじんじゃ。津山市二宮)があり、そちらは美作国二宮となっている。二宮の高野神社は美作三大社の一社とされる古社であるが苫西郡(とまにしぐん、とまにしのこおり)に鎮座しているため、苫東郡に鎮座する当社との間で比定を巡り議論がなされてきたが、結論には至っていない。
鎌倉時代以降、武家の台頭により八幡神の神格が加わり、明治に入るまでの間は「八幡宮」と称されていた。永禄年間(1558年-1570年)には尼子晴久により再興されたという。
明治維新後、現在の「高野神社」に改称し、近代社格制度においては郷社に列した。