因幡の白兎 白兎神社
白兎神社(はくとじんじゃ)に関しては、江戸時代初期の鳥取藩侍医・小泉友賢(こいずみ ゆうけん)の『因幡民談記』では、『塵添壒嚢鈔(じんてんあいのうしょう)』に「老兔」の記載があるため、大兔(おおうさぎ)明神は老兔(ろううさぎ)明神であると考察し、菟は◇(にんべんに竹の右側を書く)草の林の「老兔」であり、洪水によって林から流され、◇の根に乗って沖の島に着いた。帰るために「鰐(わに)という魚」(サメの古称)をたばかって、己とおまえとどちらが家族が多いか数えようと言って鰐を集めてその背を渡ったという。
平安時代の『延喜式』神名帳の因幡国には白兎神社の記載がないが、それだけで平安時代に存在しなかったとはいえない。また、八上比売を祀る神社に現在の鳥取県八上郡(やかみぐん)の売沼神社(めぬまじんじゃ)をあてる説があり、『延喜式』の八上郡に売沼神社の記載がある。