大國神社(伊勢崎市) 歴史 概史
当社に関して、国史に記載はない。社伝によると神護景雲元年(767年)、勅を奉じた佐位采女が社殿を修造したという。
『延喜式神名帳』では「上野国佐位郡 大国神社」と記載され、式内社に列している。「佐位郡」(さいぐん)と記載されるが、この郡は佐波郡(さわぐん。明治に佐位郡・那波郡(なわぐん)を合併)の前身にあたる。
『上野国神名帳』では、一宮本に鎮守12社の12番目に「従一位大国大明神」、群書類従本では同じく鎮守12社の12番目に「従一位大国玉大明神」とあるが、総社本では鎮守10社に記載はない。また、3本とも佐位郡項で「従一位大国玉明神」と記載する。ただし、鎮守項・佐位郡項の両社を同一と見なすことには異論もあり、後者を当社として『延喜式神名帳』所載の神社を別に見る説もある。
明治7年(1874年)、近代社格制度において郷社に列した。また明治42年(1909年)に神饌幣帛料供進神社に指定された。