倭文神社(伊勢崎市) 歴史 創建

 


社伝では第11代垂仁天皇3年の創建というが、詳らかではない。



「しどり」とは「しずおり」の略で、天羽雷雄命は平絹を織る部民・倭文部(しどりべ)の氏神である。これより、倭文部が当地に移住して天羽槌雄命を祀ったとする説がある。また、『和名抄』には「那波郡委文郷」が見えるが、これを当地に見る説もある。



鎮座地の地名「上之宮」は当社に由来するとされ、利根川を挟んで「下之宮」の火雷神社と対峙するが、中世の利根川変流まで両社は地続きであったという。