経津主神 神話
『日本書紀』の神産みの第六の一書では、伊弉諾尊が軻遇突智(カグツチ)を斬ったとき、十束剣(とつかのつるぎ)から滴る血が固まって天の安河(あめのやすかわ)のほとりの岩群となり、これが経津主神の祖であるとしている。 第七の一書では、軻遇突智の血が天の安河のほとりの岩群を染めたために石析神・根折神(イワサク・ネサク)が生まれ、その御子の磐筒男神・磐筒女神(イワツツノオ・イワツツノメ)が経津主神を生んだとしている。
葦原中国平定では武甕槌神とともに出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をしている。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』(いずものくにのみやつこのかんよごと)では経津主神のみが天降ったとしており、出雲の意宇郡(おうぐん)楯縫郷(たてぬいのさと)(島根県安来市)で天石楯(あめのいわたて)を縫い合わせたとの逸話が残っている。