福岡縣護國神社 歴史
明治元年(1868年)11月、福岡藩主・黒田長知(くろだ ながとも)が、戊辰戦争に殉じた藩士を祀るため那珂郡(なかぐん)堅粕村(かたかすむら。妙見招魂社)と馬出村(まいだしむら。馬出(まいだし)招魂社)に招魂社を創建したのに始まる。明治39年(1906年)6月27日、馬出招魂社に妙見招魂社を合祀して妙見馬出招魂社とした。昭和13年(1938年)に福岡招魂社と改称し、昭和14年(1939年)、招魂社の制度改正により福岡護國神社に改称した。これとは別に、県内には他に4つの護国神社があった。
· 山川護國神社
(やまかわごこくじんじゃ)
(三井郡山川村(現・久留米市)。明治元年、久留米藩知藩事 有馬頼咸(ありま よりしげ)により創建)
· 柳河護國神社
(やながわごこくじんじゃ)
(山門郡(やまとぐん)三橋村(みつはしむら)(現・柳川市)。明治元年、柳川藩主 立花鑑寛(たちばな あきとも)により創建)
· 八景山護國神社
(はっけいさんごこくじんじゃ)
(京都郡祓郷村(はらいごうむら)(現・みやこ町(まち))八景山。明治元年、小倉(こくら)藩主 小笠原忠忱(おがさわら ただのぶ)により創建)
· 田川護國神社
(たがわごこくじんじゃ)
(田川郡伊田町(いたまち。現・田川市)。明治2年、華族高千穂教育により創建)
昭和18年(1943年)4月、現在地の福岡城址南側の練兵場跡に遷座し、上記の4つの護国神社を統合して「福岡縣護國神社」に改称、内務大臣指定護国神社となった。第二次世界大戦後は正中宮と称していた。日本の主権回復後の昭和32年(1957年)5月17日、元の福岡縣護國神社に復した。
平成23年12月には特攻勇士の像を建立した。