廣島護國神社 歴史
l 原爆被災
1945年(昭和20年)広島市への原子爆弾投下当時、護国神社は旧広島市民球場周辺にあった。原爆投下時に大鳥居を除き、当神社の建物は全て原爆で失われた。1956年(昭和31年)に現在地に移設の上で再建された。唯一残された大鳥居に関しては、中国放送横に移設された。以後小祠を設けて祭祀を続けられている。
l 平成の拡張工事
1998年(平成10年)に創建130周年を迎え、それに伴い施設の拡張工事を行っていたが、2009年(平成21年)に全ての工事を竣功した。その際、当神社は広島城本丸の南西部(江戸時代には馬場があった場所)に所在しているため、広島市から著しい景観変更を伴う改築をしないように答申されたため、社頭整備に11年もの歳月を要した。