稲飯命 考証

 


稲飯命について『日本書紀』には「鋤持神(さひもちのかみ)」と見えるが、関連して『古事記』の神話「山幸彦と海幸彦(やまさちひこ  うみさちひこ)でも「佐比持神(さひもちのかみ)」とあり、これらはワニ(鰐)の別称とされる。『古事記』の神話では、山幸彦(火遠理命。ホオリ)は海神宮から葦原中国に送ってくれた一尋和邇(ひとひろわに。一尋鰐)に小刀をつけて帰したという。また以上から、「サヒ」とは刀剣を指すとも考えられ、ワニの歯の鋭い様に由来するとされる。特に『日本書紀』神代上では「韓鋤(からさひ)」、推古天皇20年条では「句禮能摩差比(呉のマサヒ)」などと見えることから、大陸から伝来した利剣を表すともいわれる。



また『新撰姓氏録』に見えるように、稲飯命には新羅王の祖とする異伝がある。これに関連する朝鮮側の記述として、12世紀の『三国史記』「新羅本紀」において、脱解尼師今だっかい にしきん。第4代新羅王;昔氏王統の初代)の出自について倭国東北千里の「多婆那国」とする記事があり、これを丹波国と関連づける説がある。ただし高麗の歴史書『三国遺事』(さんごくいじ。13世紀末に私撰)では、その出身地は「龍城国」であるとする。