彦五瀬命 墓

 


彦五瀬命の墓は、宮内庁により和歌山県和歌山市和田にある竈山墓(かまやまのはか)に治定されている。公式形式は円墳



彦五瀬命の墓について、『日本書紀』では前述のように竈山に墓が築かれた旨が記されている。延長(えんちょう)5年(927年)成立の『延喜式諸陵寮しょりょうりょう。諸陵式(しょりょうしき))では「竈山墓」の名称で記載され、紀伊国 名草郡(なぐさぐん)の所在で、兆域は東西1町・南北2町で守戸3烟を付すとしたうえで、遠墓に分類する(紀伊国では唯一の陵墓)。これに先立つ持統天皇5年(691年)には有功の王の墓には3戸の守衛戸を設けるとする詔が見えることから、この頃に『日本書紀』・『古事記』の編纂と並行して、『帝記(ていき)や『旧辞(きゅうじ)に基づいた墓の指定の動きがあったと推測する説がある。またその際には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)(伊勢)・彦五瀬命墓(紀伊)・五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)墓(和泉)・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)墓(山城)をして大和国の四至を形成する意図があったとする説もある。



彦五瀬命の神霊を祀る神社としては、竈山墓の南麓に竈山神社かまやまじんじゃ。式内社)が鎮座する。また、岡山県岡山市東区の安仁神社あにじんじゃ。式内社)では神武天皇の兄(あに:安仁)として、稲氷命(稲飯命。いなひのみこと)・御毛沼命(三毛入野命。みけいりののみこと)とともに祀られている。