彦五瀬命 記録
『日本書紀』・『古事記』によると、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)と、海神(ワタツミ)の娘の玉依姫(タマヨリビメ)との間に生まれた長男である。弟に稲飯命(いなひのみこと)・三毛入野命(みけいりののみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと。神武天皇)がいる。
彦五瀬命は弟たちとともに東征に従軍したが、浪速国の白肩津(しらかたのつ。あるいは孔舎衛坂(くさえざか))での長髄彦(ながすねひこ)との交戦中に長髄彦の放った矢に当たった。彦五瀬命は「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東に向かって)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西に向かって)戦おう」と助言し、一行は南へ廻り込んだ。
しかし紀国の男之水門(おのみなと)に着いた所で、彦五瀬命の射られた傷が悪化した。この時に彦五瀬命が「賊に傷つけられて死ぬとは」と雄叫びしたので、その地は「雄水門(おのみなと、男之水門)」というとする。その後『日本書紀』によると紀国竈山(かまやま)で亡くなり、竈山に墓が築かれたという。ただし『古事記』では紀国男之水門で亡くなったとする。