多田神社(ただじんじゃ)
多田神社(ただじんじゃ)は兵庫県川西市にある神社。多田院(ただいん)として国の史跡に指定されている。
同地は清和源氏武士団発祥の地であり、この地に居城を構えた源満仲によって天禄元年(970年)に天台宗寺院として建立される。鎌倉時代に幕府から造営の督励をうけた僧 忍性(にんしょう)による再建以降真言律宗に転じ、明治以前までは多田院と称した寺院であったが、神仏分離の際に神社となった。その際、南大門にあった金剛力士像が満願寺(まんがんじ)に移されるなどした。
多田神社は清和源氏の霊廟として、源満仲(みつなか)、源頼光(よりみつ/らいこう)、源頼信(よりのぶ)、源頼義(よりよし)、源義家(よしいえ)を祀る。
源氏の流れを汲む足利氏や、源氏を称した徳川氏も、多田神社を源氏霊廟と認めており、歴代将軍の遺骨を多田神社に分骨している。
また、現在の社殿は、寛文年間に徳川家綱が再建したものであり、それ以前は天正5年(1577年)の津田信澄(つだ のぶずみ)の手による焼失のため(有岡城の戦い)荒廃していたという。
四月には、源満仲や源頼光、源頼信、源義家から源実朝までの歴代の源氏の武将の武者行列のある「源氏まつり」が盛大に行われ、巴御前(ともえごぜん)や静御前(しずかごぜん)らの女性は公募で選ばれた美女たちが扮する。源氏の霊廟の性格から、源氏の個々の武士ではなく、清和源氏の武士がほぼ全員登場するところが特徴。また、『平家物語』では鹿ケ谷の密告者として評判のよくない多田行綱(ただ ゆきつな。源行綱)も、当社の源氏まつりでは、源頼朝や源義経、源満仲などと同じく源氏の主要な武将の一人として馬上の武者行列に登場する。人気があるのは公募で選ばれた美女が扮する巴御前などの女性陣。