四条流庖丁道 起源
四条流の起源は、藤原山蔭(ふじわら の やまかげ。四条中納言(しじょうちゅうなごん)、824年 - 888年)が、光孝天皇(こうこうてんのう)の勅命により庖丁式(料理作法)の新式を定めたことに由来すると伝えられている。朝廷の料理は宮内省に属す内膳司(ないぜんし、うちのかしわでのつかさ)が司っていたが、山蔭は内膳職とは関係がなく、単に料理法や作法に通じた識者として指名されたものか。9世紀の段階で、唐から伝えられた食習慣・調理法が日本風に消化されて定着しつつあったと思われ、それらをまとめて故実という形で山蔭が結実させたものであろう。これにより、山蔭は「日本料理中興の祖」とされる。