志賀海神社 境内

 


境内は志賀島の南側に位置する。かつて志賀海神社は志賀島の北側において、表津宮(うわつぐう)・仲津宮(なかつぐう)・沖津宮(おきつぐう)の3宮から成っていたという。うち表津宮が当地に遷って現在の本社となり、仲津宮・沖津宮は現在は摂社となっている。その表津宮跡は福岡市東区 勝馬(かつま)に伝えられている。



境内の鹿角堂(ろっかくどう)では、1万本以上ともいわれる多くの鹿の角が奉納されている。また「亀石(かめいし)」として、神功皇后による三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗って皇后らの前に現れたという伝承に因んで後世奉納された霊石がある。



参道には石造の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が立つ。宝篋印塔とは仏典(宝篋印陀羅尼経)を納めた塔で、当塔は南北朝時代貞和3年(1347年)の銘を持ち、完存では福岡県内最古である。花崗岩製で、基礎・塔身・笠部(かさぶ)・相輪から成り、総高は334.5センチメートル。この塔は福岡県指定有形文化財に指定されている。



一の鳥居は、寛文10年(1670年)の福岡藩3代藩主・黒田光之(くろだ みつゆき)による造営。次の鳥居は元禄13年(1700年)、海浜の鳥居は安永3年(1774年)の造営。