日前國懸神宮と高大明神の用水相論 概説 宮井(神宮井)

 


宮井(みやい)は紀ノ川下流左岸(和歌山平野)を潤す灌漑用水で、その名称は元亨(げんこう、げんきょう)元年(1321年)の文書に見える「ミアイノハタ」が初見。開削は古く古墳時代にまで遡り、当地の豪族であった紀直氏(きのあたいうじ。後の紀伊国造家)の和歌山平野開発に伴い、その主導の下に紀ノ川の旧河道を固定化して造成されたであろうことが推測されており、古代律令制時代には500余(180万、およそ600ha)に及ぶ平野部の水田を潤す一大幹線水路として国衙(こくが)によって管轄され、取水口の幅は当時としては破格の1(およそ11m)もあった。その後国衙の権威の低下に従い、それに代わって本来的な関係を持っていた日前宮が管理するようになり(日前宮の祠官(しかん)は古来一貫して紀伊国造家が勤めている)、そこから「宮井」と称されるようになり、ほかに「神宮井」や「大神宮大井」などとも称された。