土蜘蛛 史料に見える土蜘蛛

 


古代日本における、天皇への恭順を表明しない土着の豪傑などに対する蔑称。『古事記』神武紀、『日本書紀』神武・景行・神功の3紀に「土蜘蛛」または「都知久母(つちぐも)」の名が見られ、陸奥越後常陸摂津豊後肥前など、各国の風土記などでも頻繁に用いられている。



その分布領域は、豊後国4箇所、筑後国1箇所、肥前国7箇所、肥後国1箇所、日向国1箇所、大和国5箇所、越後国1箇所、常陸国3箇所にわたる。 その首長名と思われる名前が33名あり、そのうち女性と思われるものは8名である。 なお陸奥国風土記には、8名の土蜘蛛の名前があげられ、うち2名は女性と思われ、これを加えれば、それぞれ41名、うち女性?10名である。 ただしこれは、国栖をも、土蜘蛛と同じ類とみなしての記述である。



また一説では、神話の時代から朝廷へ戦いを仕掛けたものを朝廷はや土蜘蛛と呼び、朝廷から軽蔑されると共に、恐れられていた。ツチグモの語は、「土隠(つちごもり)」からきたとされ、すなわち、穴に籠る様子から付けられたものであり、明確には虫の蜘蛛ではない(国語学の観点からは体形とは無縁である)。