龍田大社 歴史 概史

 

延喜式祝詞(のりと)の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山(たつたやま)に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。

 

 

国司では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神(おおいみのかみ)を広瀬河曲(ひろせかわら)に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。

 

 

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では大和国平群郡(へぐりぐん)に「竜田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大 月次新嘗」として、二座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭新嘗祭幣帛に預かった旨が記載されている。

 

 

明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において「龍田神社」として官幣大社に列した。

 

 

紅葉の名所としても有名である。摂社・龍田比古龍田比売神社(たつたひこたつたひめじんじゃ)の祭神である龍田姫(たつたひめ)は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきた。