水無瀬神宮 歴史
後鳥羽天皇の離宮(りきゅう)水無瀬殿(みなせどの)の跡に建立された。承久の乱で隠岐に流されそこで死去した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、仁治(にんじ)元年(1240年)、水無瀬信成(みなせ のぶしげ/のぶなり)・親成(ちかなり)親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇を祀ったことに始まる。明応(めいおう)3年(1494年)、後土御門(ごつちみかど)天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀨宮の神号を奉じた。
江戸時代まで仏式で祀られていたが、明治時代に神式に改められ、水無瀨宮に改称した。後鳥羽天皇と同じく承久の乱により配流されてそこで崩御した土御門天皇・順徳天皇の神霊を配流地から迎えて合祀した。
明治6年(1873年)に官幣中社に、昭和14年(1939年)に官幣大社に列格し、水無瀬神宮と改称された。