三嶋大社 概史 古代
史料の初見は天平宝字(てんぴょうほうじ)2年(758年)で、「伊豆三島神」に対して10月2日に封戸(ふこ)9戸が、12月に封戸4戸が授けられている。国史では天長9年(832年)の記事において、三嶋神・伊古奈比咩命神(伊古奈比咩命神社。いこなひめのみことじんじゃ)の2神が地2,000町に神宮二院・池三処を作るなど多くの神異を示したとして、名神に預かっている。同記事の3日前の記事では、日照りの原因が「伊豆国神」の祟りであると記されているが、この「伊豆国神」は三嶋神・伊古奈比咩命神と同一神とする説もある。
『続日本後紀』の記事によると、承和5年(838年)7月5日夜に上津島(神津島)で激しい噴火が発生した。占いの結果、それは三嶋神の後后が位階(神階)を賜ったにも関わらず、本后たる阿波神(阿波咩命:阿波命神社。あわのみことじんじゃ)には沙汰がないことに対する怒りによるものだと見なされた。同記事では「後后」に関する具体的な言及はないが、これは伊古奈比咩命を指すとされる。この記事を受けて約一ヶ月後には、阿波咩命と物忌奈命(阿波神の御子神:物忌奈命神社。ものいみなのみことじんじゃ)の神階が無位から従五位下に昇った。
その後、三嶋神は嘉祥3年(850年)に従五位上の神階が授けられたのち、仁寿2年(852年)に従四位下、天安3年(859年)に従四位上、貞観6年(864年)に正四位下、貞観10年(868年)に従三位が授けられた。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、伊豆国賀茂郡に「伊豆三島神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。また、『延喜式』主税寮(しゅぜいりょう/ちからのつかさ)によると、「三島神料」として2,000束が下されていた。
承平(じょうへい/しょうへい)年間(931年-938年)頃の『倭名類聚抄』では伊豆国賀茂郡に「大社郷(おおやしろごう)」の地名が見えるが、これは伊豆三島神社・伊古奈比咩命神社に基づく郷名とされる。