御柱祭 歴史

 

起源は、平安時代以前とされる。諏訪大社は五穀豊穣、狩猟・風・水・農耕の神として古くから信仰されておりそれらを祈願するものであったと推測される。江戸時代以降は、宝殿の造営と御柱の曳き建てが行われている。

 

 

神話伝説

古事記』に記述があるもので出雲オオクニヌシ高天原から降ったニニギ国譲りを承諾したとき、ただ一柱反対したタケミナカタは武神タケミカヅチに追われることとなった。結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、その際この地から出ないことを誓って許される。

 

 

その時結界として神社の四隅を仕切った、という話が残っている。地鎮祭の神話的表現とも考えられる。

 

 

実際には記紀神話以前からの諏訪地方の信仰との関係が深いといわれている。神長官守矢(もりや)氏の伝えるところによるとこの御柱はミシャグジの依り代であるという。