沼河比売(ぬなかわひめ)

 

沼河比売(ぬなかわひめ、奴奈川姫)は、日本神話に登場するである。

 

 

 

 

日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場する。八千矛神(やちほこのかみ。大国主)が高志国(こしのくに。越国)の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠んだ。沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した。

 

 

『古事記』にはこれ以外の記述はないが、新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神(タケミナカタ)で、姫川(ひめかわ)をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。『先代旧事本紀』でも建御名方神は沼河比売(高志沼河姫)の子となっている。

 

 

出雲国風土記』島根郡美保郷の条では高志国の意支都久辰為命(おきつくしい)の子の俾都久辰為命(へつくしい)の子と記され、大穴持命(大国主)との間に御穂須須美命(みほすすみ)を産んだと書かれている。

 

 

越後国頸城郡(くびきぐん)式内社に沼河比売を祀る奴奈川神社(ぬなかわじんじゃ)がある。天津神社境内社・奴奈川神社をはじめ、新潟県糸魚川市内に論社が3社ある。

 

 

また、長野県にも沼河比売を祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石(ばていせき)がのこされている。

 

 

諏訪大社の下社にも八坂刀売命(やさかとめのみこと)や建御名方神と共に祀られ、子宝,安産の神として信仰されている。

 

 

『万葉集』に詠まれた「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」

(巻十三 三二四七 作者未詳) 

 

の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。天沼矛(あめのぬぼこ)の名に見られるように古語の「」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。

 

 

なお、欠史八代の第2代綏靖(すいぜい)天皇の諡号は『日本書紀』では神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)、『古事記』では神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)とされている。